結局ゲイであっても、それが可能なら結婚し家庭を持ったほうが良いと思う。
それができる人なら。
また、結婚家庭に全く興味関心もないゲイは、自分のゲイ道を行くのが当然で、
それが良いと思う(僕の周囲のゲイ友達はほとんどこの後者の考えだ)
これから書くことは、何も結婚しないゲイを非難するものではない。
僕が尊敬する偉人の話を参考に考える。
今を大事にする代償として老齢の孤独が待っている。
今の彼氏は永遠である保証はどこにもない。
今の彼氏との愛が堂々と誰にでも誇れるものであるのか?
(誇れるものだと、堂々と言える覚悟を持った人は、様々な難題を乗り越え、
既に人生の高みにたどり着いた人格者であると、僕は心の底から尊敬する。)
今のままずっと行けることがずっとそのままの喜びだろうか。
(僕の場合は、年を重ねるにつれ、苦しく感じることが増えるだろう。
実際に今、少しずつ苦しさが増えている)
親の恩と期待に報いることは自分を殺すことか。
(ここまで生きてこれたのは、親のおかげであるのだから、
親に感謝しなければいけないのだが、現在の人生が幸福でない僕は
親に感謝するところまで達していない。
人は自分の生活が幸福に満たされて、初めて人に優しくできるのではないか)
親の愛は自分が先に逝くことの前提にたっている。
(この視点が僕にはなかった。確かにそう思う節はある。
親自身の親戚や周囲の世間体のために僕に結婚を急がせると意識だった)
親の思う人生でなくとも、一生の絆を築ける自分なのか。
(これは、難しい問いだ)
親のお墓はあなたの亡き後風に吹き荒ぶだけの石となる。
(うーむ)
親の不安をあなたはどう鎮められる人なのか。
(今のところ、鎮める手立ては見つからない)
あなたがどうしようもなくゲイ道を行くしかない人で
ある場合は、それがあなたのみならず全員の円満です。しかし、
孤独の解消が終生保証されることはありません。これは結婚して
孫が居ても言えるという不安裡と同じ意味ではなく、自分の存在
以外何もないかもしれないという老境のことです。
そして、あなたがあなたの過信で今の道に在る場合、もしかし
たらあなたは女性と愛を育みその結果を生き甲斐にできるやもし
れません。そこには、その女性と子供を第一に考える姿勢と誓い
が問われますが、どのみち下り坂を下る性欲の有り様(よう)の
中で、今のゲイの謳歌に(頭で)固執することはナンセンスかも
しれないということです。
求められるのは、自分の覚悟と何をも懼れぬ心です。
それが有れば、終生ゲイに生きても淡々と生きられる。そして又
違う覚悟の場合は、家庭を築く道もまた在りけり。
あなたがどのように死の時季を想像できるか、その心模様を今
想えるか、どれだけのお金でどのような老人たれるか、それを今
一度考えてもいいでしょう。
誰が犠牲になろうとも、自分で選ぶ道にしましょう。今のカレ
に申し訳ない云々はちょっと置いてもその女性と会ってみてもい
いかもしれません。今覚悟を求められるあなたの時節なのです。
(許可なく引用してしまいましたが、問題がありましたら、
コメントににて、お知らせ下さい。
誰かのそして僕の何かの助けになることを願いつつ)
僕の場合は、その時節を逃してしまったのかもしれない。
結婚のために既に2桁の女性と会った。
その中で一般女性(ノンケの女性)と結婚するというのは、
僕にはできないということが分かった。
自分がゲイであるということを伝えない結婚はできないということだ。
ここはもう揺らがない。
揺らいでばかりの自分は、揺らがない」「迷わない」と言えることが単純に嬉しい(笑)
それが分かっただけでも、今までの活動は無駄ではなかったということか。
そうなると、
ゲイであると伝えた上で一般女性と結婚するか、
もしくはビアン女性たちと結婚するかの2択になる。
ゲイであると伝えた一般女性で、
僕と結婚したいとはっきり言っていただいた方が
過去に一人いた。
もう3,4年前の5月のことだ。
一緒に遊園地や水族館に行ったのが初夏の大型連休だった。
結婚には至らなかったが後悔はない。
僕は結婚の時機を逃してしまったと書いたが、
今、結婚活動をしていない。
するパワーが沸いてこない。
疲れきってしまった
現在34歳。
あの頃(30歳~33歳頃)は、やる気に満ちていた。
結婚への道のりを進んでいると思うと、結婚活動が素直に楽しかった。
希望があった。
家族を持って子供を育てて温かい家庭を持つという長年の夢があった。
今でもその夢は、捨ててはいない。
ただ結婚活動をして現実の厳しさを分かったということだ。
それだけでも、人の大切さが分かるということだ。
今は少し休んでも、また始めよう。
自分さえ諦めなければ夢に終わりなどないのだから。