最近ちょこちょこ見かける言葉。

「音楽に罪はない」について。


色々な思いが浮かんでは消えるので、

1回自分の頭の中を整理しておくために、

文字に書き起こしてみることにしました。


で、読んだ後に書くのもあれなので、

最初に断っておきますけども。


「こう思わないのはおかしい」ではなくて、

「僕はこう思う」を書いてみるだけです。


「いーや、そうじゃなくて、こうだろう」

読んだ後にそんな想いが浮かんできた方は、

どうぞ、その想いを大切にして下さい。


良いキッカケになったら嬉しいですけど、

悪いキッカケになっても責任は取れません。


これを書いて議論がしたいわけではなく、

誰かと対話がしたいわけでもなく。


頭の中を整理したくて書いてみたので、

興味があったら読んでみてください。


もし時間の無駄になったらごめんなさい。


そんな気持ちで公開しておりますので、

読みたい方だけ続きをどうぞです。



それでは、本題にはいります。


まず結論から書いておきますね。

僕は作品(音楽)に罪は無いと思ってます。


ただし、制作者が罪を犯したその時点まで、

という条件付きです。


一体なぜそう思うのか。


自分の考えを織り交ぜつつ、

理由を説明していきます。



まずそこに在る曲を好きになるにあたって、

どんな人が、どんな気持ちで創った曲なのか。


それを大切に思う人がいれば、

そうじゃない人もいるわけです。


そうじゃない人、というのはつまり、

制作者を知らずに好きだと思っていた人には、

制作者のことなんて関係ないわけで。


そしてそれは別に不思議なことでもなくて、

むしろそんな人の方が多い気さえします。



そして曲のことが好きなだけなら、

罪を犯した人が創った曲なのかは、

そもそも関係無いわけで。



作品は世に出た時点で作者の手を離れていて、

一つの独立した存在として好かれている。


こんな状況って別に珍しくないと思います。



作品に罪は無いという意見が多くなるのは、

こういう理由が大きいのかなと。




反対に制作者の想いを大切にする人が、

罪を犯してしまう前に作品に触れたとき。


嫌な気持ちになることは、

おそらくほぼ無いでしょう。


好きの反対は嫌いではなく無関心なわけで、

興味を持って受け取ろうとしている時点で、

そこにあるものに期待しているはずで。


そして裏切られなかったからこそ、

好きになっているはず。


その場合、制作者が罪を犯すことによって、

作品に込めた想いへの嘘が発覚したなら。


その人にとって作品の価値が下がるかもですが、

それはそれで制作者の罪なわけで。


やっぱり、作品に罪は無いのです。



……ここまで書いていてふと思ったのですけど、

罪って一体何なんですかね。


どうも書いていてしっくり来ないのです。

この、罪という表現が。


もっとしっくり来る言葉…。

うーん、そうですね。


責任…かな。


作品に負うべき責任は無い。


罪は無いというのはつまり、

そういうことなのかも。


これは言うまでもなく、なのですけど、

作品(音楽)というのは自分の意思でもって、

何かをすることは出来ないのです。



音楽はあくまで誰かに使われる存在。

誰かが誰かに消費させる存在なんですよね。



だから制作者がどんな悪いことをしようと、

音楽に罪(責任)は無い。


それはやっぱり、その通りなのだと思います。



ではその音楽が誰かに迷惑をかけることを、

もしくはその可能性があることを知った上で、

誰かに消費させた場合は?



その音楽を誰かに届けた人には、

罪(責任)は無いのでしょうか。



これは違うと思うのです。