えー、これを書いている現在は深夜2時。


なんか知らんけどここ数時間の記憶が無い。

いつの間にか寝てしまってたみたい。


やっぱ疲れてるのかなーと思いつつ、

明日行けばとりあえず休みだと思いつつ。


謎の深夜テンション(?)で脳が覚醒して、

あーそっか、そうなのかもって思ったこと。


「推しの責任」について、ちょっとこの勢いで、

今の気持ちを書いておこうと思います。


めちゃくちゃ意見が割れそうな話題ですし、

そんなつもりは全くありはしませんけど、

下手したら人生否定されたとか。


思う人もいるかもしれない話題な気がします。


あまり言葉を選ばず書くつもりなので、

不快な思いをしたくない人は読まないで下さい。



自分の中で出た答えを書いてみるだけなので、

「ふーん、あなたの答えはそんな感じなのね」

と思ってくれる人だけ続きをどうぞです。



それこそ、僕は読んでくれた人に対して、

何の責任も取れはしないので…。



では、書いていきます。



推しの責任って何なのか。


もう少し書きたいテーマを細かくすると、

不特定多数から好きだと応援されていることを、

認識して活動している人が負うべき責任とは?



僕は、全力で真剣に頑張ること、だと思います。




好きという気持ちは過去に向けられたものです。


何かをしたことに対して感じる気持ちです。


そして過去から未来を想像する中で膨らみ、

暴走しがちな感情だと思います。



推し=人生だ。


推しと過ごす時間が、僕の全てだ。


推しがいるから僕は生きていられる。


推しがいない人生に、意味なんてない。



そんな意見を見かけたりします。



僕の人生を捧げた責任を取ってくれ。


もしかしたら、そう思う人もいるかもですが、

僕はそうは思っていません。



僕にとって推しという存在は、元気の源です。


例えるなら、そうだな、何だろうな。


栄養ドリンクとか、車のガソリンとか、かな。


元気になってどんな人生を歩むのかは、

僕自身が決めることです。


満タンになったガソリンでどこに向かうかは、

僕自身が決めることです。


自分で決めるのだから、

その責任は自分で負います。



そこに推しの責任、何てものは存在しません。

あるのは、ありがとうの気持ちだけです。



ファンの人生を推しが背負う必要なんて、

僕はないと思っています。




推しが居なくなった後に残るのは、

そこに推しが居たという事実だけです。



そして推しから貰ったエネルギーで、

自分が何をしてきたかという過去だけです。



今、あなたの目の前から推しが消えたら。


あなたの中には、何が残りますか?



こんなことなら、推さなきゃ良かった。



もしも、そんな結末を迎えたとしても、

それは推しの責任ではなくて。



僕はエネルギーをカタチに変えられなかった、

前に進めなかった人の責任だと思います。



今までありがとうって伝えて、

笑顔でバイバイって言える。



僕はそんな時間を過ごしたいです。



推しの責任って何なのか。


最初に書いたとおり、

そんなものがあるとするならば、

僕は全力で頑張ること、だと思います。



それを受け取ってどんな感情になるかは、

責任とか義務とは違う話だと思うのです。



頑張った結果を好きになるのも、

嫌いになるのも自由です。



自由なのだから、責任なんて生まれません。



でも、だからこそ。



届けられた作品は、

全力であって欲しいです。



全力で頑張っている推しは好きだけど、

産まれた作品は好きになれなかった。


なんてことも絶対あります。



作品のファンのか、推しのファンなのか。

同じようで、微妙に違う気がしますし。


(話題がそれそうなので、深掘りはやめとこう…)



全力で届けてくれる時間や作品を、

これからも楽しめたらいいな。



さて、全然眠たくならないので、

そろそろ終わりにしようかな。



勢いでバーッと今の想いを書いてみましたけど、

誰かにとって有益なものになったら嬉しいです。



お読み下さりありがとうございました!!