私の中で『尊敬』って言葉の意味は、歳を重ねるごとに変わってきています。
昔は『尊敬』って高尚な言葉だね、位しか思っていなかったんですけどね。
『尊敬』とは
「相手の人格や功績などが優れていると認め、敬うこと」
「相手の行為や行動などに対して価値があるものとして、敬うこと」
※頭を下げるような、仰ぎ見るような気持ちが込められている。※文法的には相手を高める際に用いる言葉。
「『尊敬』=相手に傾倒してしまう、
相手を神格化してしまう危うさがある」
と、私は感じています。
『尊敬』という感情は、扱い方に注意が必要な感情でもあると、最近は思っています。
『尊敬』とよく似た言葉に『尊重」がありますね。
『尊重』
「相手の意見や権利などに価値があるとして重んじ、敬うこと」
「その(人やモノ等)の価値を認め、大切にする、重んじること」
※対象は人に限定されず、モノや概念なども尊重の対象となるのが「尊敬」との大きな違いである。
『尊敬』という言葉より、今は『尊重』という言葉をより強く意識する様になりました。
今の私は、他者を『尊重』すること、
それを行動で示すことである『敬意を払う』ことが出来る人でいたいと思っています。
以前の私は、賛同出来ない方の考えを『尊重』する事が出来なかった、『敬意を払う』ことをしていなかったと言えます。
『敬意を払う』ことと『相手の言いなりになる』ことの違いがわかっていなかったのだと思います。
『敬意を払う』上で、お互いの違いを明確にする事は可能だと、今は考えられる様になりました。
私は
優しい人でなく、ドライな人でも
博識の人でなく、無教養な人でも
仲間思いの人でなく、孤独な人でも
論理的な人でなく、感情的な人でも
常に他者を『尊重』する『敬意を払う』事が出来る人は『精神性が高い』のでは、と考えていて、その人が持つ『精神性の高さ』に一目を置きます。
それは現実でも、SNSで出会った方々でもです。
『精神性の高さ』は、その人の内面の強さや深さと強く結びついていて、また他者との関係性において、とても影響があると思っています。
「精神性の高さ」は、自分自身を守る『盾』でもあり、相手を攻撃する『剣』でもあり、お互いを結ぶ『手』でもあると思うのです。