今日も一日…

今日も一日…

熱々の餃子を口に放り込むと焦げた皮がパリッと弾け、中から肉汁が溢れ出す、その瞬間が堪らなく好き。

「愉快なことを話して!」
子供は今もスマホを触りながら、
そう私に言い放った。
そう、とても軽く投げかけたであろうフレーズ。

なのに私の心は大いに揺れた。

子供にとっては『愉快ではない』
言い換えれば
あまり聞きたくない。
聞くのはしんどい。という意味なのだろう。

私は悪意があったわけではなく、
ただ家で愚痴を言っただけ。
愚痴を言えるのは家族だけ。

それは
「巣のままでいれる場所」
「安心して過ごせる時間」だから。

子供にとっても家庭はそんな場所であると思うし、あって欲しいと常日頃から願っている。


「巣のままでいれる場所」
「安心して過ごせる時間」

そこに不機嫌や、不満がふと鎮座しようとした時に「ちょっと明るい空気を持ってきてよ」って
言いたくなる気持ちもわかる。

「愉快な話ねえ…」と私。



私の中には、様々な感情がある。
楽しいのか、ほんわかした気持ちなのか、
ムカつくのか、ザワザワする感じなのか

未整理な雑な感情。

雑な感情こそ、家庭にポンと投げ捨てたい。

投げ捨てることが、
私にとってガス抜きになる事も多いです。

家庭の中では、そういう“雑な感情”を
ポンと置いてしまうのは、仕方ない事だと
思っています。

雑な感情を言葉という容器に入れて差し出すのであれば、一緒にいる家族が受け取りやすい容器、言葉を意識する必要があるということかもしれません。

容器を合わせる作業すら、しんどい時は…

はて、どうしたものか…
正直わからないです。

ただ「愉快な話を持ち寄れる家庭」は素直に良いな。と思うのです。