私のブログは内省的な内容が中心です。
日々の出来事を綴るというよりも読物や出来事をきっかけに、自分の中にある価値観や考えを静かに見つめ直すような文章を投稿しています。
ブログとして投稿する以上、読者の存在を意識することもあります。
私のブログは親しみやすいというより、私と同じように内省的な傾向のある方達や内省的な文章を読むことを面倒くさがらない方達に読まれる傾向があるのではと感じています。
そうした方達は、普段はあまり自分の心の内を他人に見せることがないかもしれません。(私はそうなのですが)ブログだからこそ、誰かの内面の声に触れることが出来ると考えています。
片隅にあるこのブログですが(少しおこがましい言い方かもしれませんが)誰かが「自分だけじゃないんだ」と感じてくれたらと、そんな思いで続けています。
私は
ブログに共感されることでの
「正しさ」や
反対に理解されにくいゆえの
「印象強さ」を
狙って書ける程の力は無いので、自分の言葉の居場所として綴っています
前々回、前回の投稿したのは、出来事への視座を変えたいという思いからです。
私なりに起きた事象を自分の中で消化する為の儀式なのかもしれません。
私にとっては綴る事、書き出す事に意味があるのです。
そして、今あるこの静かな場所は間違いなく
私のもの。
自分の言葉(想い)を置くからこそ、そう感じるのでしょう。
そして誰のブログにも書くことの意味がある(そのブログの好き嫌いや内容への賛否は別として)
私のブログに対してある時、誰かの感想や非難が届くかもしれない。(実際過去にはありました)
なぜなら、これはただの内緒話や日記ではなく、誰かの目に触れることを宿命づけられたブログという場所だからです。
冒頭でも触れましたが、読者がそこにいる。これはブログというツールの持つ魅力でもあり、怖さなのだと思います。