時刻は、朝の4時半。標高2700mもあるここ乗鞍岳の畳平は、7月といっても外套に身を包んでなお震えるような寒さだ。無理もない、畳平までは車で登れるから勘違いしがちだが、他の場所なら山頂に当たるくらいの高所なのだから。
ライトを点した定期バスが、畳平に入る手前の三叉路に客を下ろして空の状態で料金所を通過する。1台でも驚きなのに、それが時に、何台も連なって。岐阜 県側から、長野県側から。さらに畳平の宿泊施設に泊まっていた人が、懐中電灯で足元を照らしながらそのスポットに移動するのもこの時刻だ。
多い時になれば70人近くも集まるのではないか。口々に寒い寒いと呟きながら、それでも横並びで彼らが待ち望むのは、乗鞍岳のご来光である。それを拝む ためにわざわざ足を運ぶんだから、本当に物好き。ご来光なんて、他の場所でも体験できるだろうと思うが、そういうものでもないらしい。
僕ら駐車場係は、彼らのような物好きさんを日の出前にお出迎えするのが仕事だ。前日から麓の事務所に泊まり込んで、2時半くらいには起床。僕らよりも早 く出発したパトロールの確認を待って車で畳平へ移動し、鍵を開けて準備する。お出迎えといっても笑顔で愛想を振りまくわけではなく、はっきり言って何をす るわけでもないが、僕らがそこにいなければ始まらない。僕らは始まりの鍵のようなもの。
山の天気は変化が激しく、濃霧で視界が閉ざされれば夜の運転は難儀する。風が強いと前屈みになっても前進すらままならない。ご来光の見られる朝はまた放 射冷却でいっそう寒さが堪えるんだ。それでもご来光を求める人の願いは途切れなくて、バスは増えるばかり、人の密度は濃くなるばかり。そして今日も一部の 物好きさんのために鍵を開けてやる。夜明け前から。
残念ながら、僕はまだスポットからのご来光には出会ったことがない。仕事を放棄すればすぐそばにあるんだけど。これはサボって持ち場を離れようか、なん て考えていたら、それまで姿を隠していた山塊の肩付近からものすごい光量が洩れてきて、邪な気持ちを見透かすような眩しさに目がくらんだ。と同時に、冷え 切った世界に熱も届けられて、一気に気温が上昇した。思わず、感嘆。
(戦時中、ここ畳平に高高度エンジンを研究する軍事施設があったことなど忘れても良い。畳平はそのために拓かれた、というのが歴史の真実であっても。)
ご来光が終われば、人々は散会する。一つの目的に縛られることなくばらばらになって、それまで待ち侘びていた太陽など顧みなくなる。人間を大量に輸送してくるバスは、まだ来ない。忙しくなる時間に備えて、ここらで少し、眠っておこう。



