摂食障害で死んだ私の妹みーちゃんは、「普通」であることをいやがっていました。

普通というのは「問題ない」という意味でまわりは言っていたのですが、

みーちゃんは「特別ではない」、

つまり、「可愛くない」「つまんない」「優れていない」という解釈をして苦しんでいました。

たしかに、

普通という言葉は、すごい美女や天才や大金持ちには使いません。

普通を抜け出したくて、

みーちゃんは特別細く可愛くなるために過激なダイエットにのめり込んでいったのですが、

過食嘔吐という普通ではない症状に、

普通だったとき以上に苦しみ始めました。

普通を脱するための過剰な努力は、

自分の心と体を普通じゃない状態にします。

はじめっからずーっと普通でいればよかっただけなのです。

私もいろんなことに関して「特別になりたい」とか「優れていたい」とか望むタイプです。

でも、私がみーちゃんより助かっているのは、

みーちゃんほどの努力家ではないから、

みーちゃんほどはがんばれないからです。

ほとんどの人がこのタイプで、

結局「普通」を脱するほどがんばれないのです。

でもこのユルさのおかげで命が助かっているのです。

すごくいいことなのです。

普通って、

ありがたい性質なのです。