友情2018
海に行ってきた
三浦半島観音崎灯台
中学高校時代の友達がタローが海を見たいというわがままな夢を叶えてくれた
病に倒れ病院で何がしたいか聞かれた時
もう一度この目で海を見て、波の音を聴いて
潮の匂いを嗅いで風を感じたい
闘病中ヤバい時にはもう叶う事のない夢だと思っていた
海はひとつふるさと広島までもいや、日本中いや世界中とつながっている
だからこそもう一度この目で海を見たかった
その実現不可能と思える状態だった俺の身体は
一時的かも知れないが体調が復活し、
一時的に退院できた
これだけでも奇跡的な事なのにまさかタローの夢が実現するとは
友達はタローの体調を気にかけながら、
車に乗せてタローの夢を叶えてくれた
諦めなければ夢は叶う
そう諦めなければ夢は叶うのだ
たった一人では無理な事や友や仲間達がいれば
諦めなければ夢は叶う✨
友情2018
ありがとう以上の言葉が見つからない
だからもう一度言う
ありがとう
タロー
杉紀彦さん逝く
メリークリスマス🎄🎅🎁✨
こんばんはタローです😄
無事一時退院したものの
浮かれちゃだめだ
あれほど気を付けろと
自分自身に言い聞かせていたはずだったのに😢💦
暴走機関車のごとくブレーキがきかず
この寒暖差に俺の身体は悲鳴をあげ
体調を崩してしまいました😢💦バカ野郎ですたい
深川不動尊で、引いた仏様の声
無宗教のタローではありますが
奥が深いよな
改めて感心させられていますが
年末年始なんとか加減よく過ごして来年そうそうの再入院に向け体調を整えたいと思います
さてそんな中放送作家で作詞家の杉紀彦先生が死去したというニュースが飛び込んできました
タローと杉先生のか関わりは意外と長くてナイター枠終了後に杉紀彦のラジオ村が生放送やっていた関係で随分お話もさせていただきました
お互いタバコも吸っていたので喫煙所とかナイターデスクとか昭和のザ芸能界の裏話など楽しい時間を共有させてもらいました
そんな杉先生の話で一番の思い出は、ある番組にタローと共演でゲスト出演されたときに
いい歌よい歌詞とはどういうものかと言う話になった時に、いみじくも杉先生がおっしゃった言葉が今でも、忘れられません。
あのねいい歌詞というのはどういうものかわかるかと問われ、タローが答えに困っていると杉先生はこういい放った
それはねいかに言葉を削るか、歌詞は少なければ少ないほうがいいんだ
でもこれが難しい
簡単な事じゃないんだよ
なんでもだらだらと説明して何かを表現するなんてプロの作詞家からすると容易い事なんだ
だけど伝えたい事や言いたい事を本当に少ない言葉で心に響く歌詞を完成させるのは難しいのだ
だから作詞家の究極の理想は、一言で相手の心の中に入り込む歌詞を書く事なんだよ
それはね言葉が少なければ少ないほど歌詞が
より多くの解釈の幅が広がり、
世代を越えたより多くの人に支持される
それらの歌詞と曲がマッチすることにより
ヒット曲につながり、より多くの人に
聴いてもらいさらに多くの曲の解釈が広がる
それこそが歌詞が一人歩きして、
曲と共に歌に命が宿る瞬間なんだよ
だから解釈が一方向の日記帳みたいな歌詞は
同じ時代を生きた人にしか受け入れられないし、ちょっと時間が経つと結構新しい曲なのに
古くさく感じて共感できないものが多いよね
なるほどそういう事なんだとタローはあのときの話をつい昨日の事の様に覚えている
だから大物のアーティストや作詞家作曲家がいた昭和の歌謡曲や平成の初期のJポップは
今でも全然ふるい感じしないもんね
さすが芸能界の大先輩作詞家の先生
俺達とはレベルが違うなって当時タローは感心させられました
後番組パーソナリティーとしての杉先生の、
ゆっくりと重みのあるしゃべりは
タローには決して真似できない
暖かい温もりをもったしゃべりでしたね
あのゲスト歌手とのトークは
多くのファンを魅了していました
そんな杉先生が天国に旅立ちされたというのに25年パーソナリティーを務めたラジオ日本のホームページに速報と哀悼の意を込めたコメントがないのはちょっと寂しく感じるタローでしよ
60周年だろしっかりしろよ😵💨
最後になりましたが
杉紀彦先生ありがとうございました
安らかにお眠りください
タロー





