初めまして!特にナシと申します!

 

さて、早速本題へ参りましょう。

 

さてさて、平沢進さんといえばタルボ、タルボと言えば平沢進と言われるているかは分かりませんが(笑)

少なくとも切っても切れない関係であることは間違いない平沢さんとタルボの関係。

 

今回はそんな平沢進さんとタルボとの関わりを小ネタを交えながら見ていこうと思い

ます。

 

Auroraの時。仲が良さそうなタルボと平沢さん

 

1983年(84年だったカモ)平沢進さんが初めてお目にかかったのはとある楽器カタログだそうです。もともと幼少期〜少年期まで一般的にビザールと呼ばれるギターを使っていた平沢進さんにはタルボが懐かしく見えたのかもしれませんね。当時の販売会社のカタログ

 

すぐに東海楽器製造に連絡したところ、3本も貰えたそうです。

当時、平沢進さんもといP-MODELはイケイケだったので、提供して貰えたんでしょうね

しかし、「3本も要らない」と1本は返却してしまったそうです(この1本は後に有頂天へ回ったそう)

 

平沢さん曰く、肝心の音は、

「ガラス球をコンクリートに擦り付けたような冷たい音」

 

えっ、どんな音!?

 

平沢さんの感性と言うのは、とても難しいようです…

 

85年、金タルボと銀タルボ。

 

さて、平沢さんも新しいギターを迎え入れ、

未来永劫安泰に思えたタルボ、しかし、ここから悲劇が始まります

 

唐突すぎる展開、

 

なんと、タルボの製造元、東海楽器製造が倒産してしまいます!

更に悲劇、なんと、P-MODEL凍結

 

しかもしかも、この間に中川の土手下で放置されていた楽器車から

金タルボとその他機材が盗み出される始末、

 

これはヒドイ。

 

しかしそんな多数の不幸もありながらなんとか91年、P-MODEL解凍。

ですが、まだタルボの悲劇は終わりませんでした

 

92年、ドラマーのヤスチカさん不在の中敢行されたライブ、

そこで平沢さん、やってしまいました

91年、暑そうな衣装を身に纏いながら望むギタープレイ

 

何を思ったのか上の画像で弾いている金タルボを床に叩きつけてしまいました!

 

観客はドン引き…かは分かりませんが、当時のライブ音源では叩きつけていた時、明らかに観客の声がテンションダウン…

 

あんたはジミヘンドリックスか!

 

それだけなら一端のギタリスト、まだ若気の至りと言うものかもしれません(当時38歳)

では何がやってしまったのか、

 

平沢さん「まずいなぁ、タルボ壊しちゃったから、製造元に直してもらおう…」

    「おかけになった電話は、現在使用されておりませんーー」

 

こんな駆け引き(?)があったかは分かりませんが、前述した通り

東海楽器製造は倒産していたのです。

 

というと語弊がありますが、少なくとも、派手に破壊されたタルボを修理できるような状態ではありませんでした。

 

結局、破壊したタルボは他楽器店へ修理を依頼(これが後の伏線)、金タルボ不在となり、当時、基本的にタルボ以外のギターを持ち合わせていない平沢さん。

 

これはヤバいと思ったのか、次はフェルナンデスへ向かいました。

 

フェルナンデスの社員さんへ

「どんな音でも良いですから、タルボの見た目のギターを作って下さい。」

 

唐突すぎる展開、しかし、要望は意外にもあっさり通り、一本のギターが完成しました

 

2001年、Live Solar Ray

 

こうして94年、生まれたのがタルボではないフェルナンデス製ギター「Photon」でした。

 

平沢さんは、「音はどうでも良い」と言っておられましたが、フェルナンデスの開発チームは出来るだけ「木で」タルボの音を引き出そうとしました。

 

ちゃっかり、自慢の「サスティナー」と「フライドローズ」まで搭載しちゃって…

筆者のタルボに搭載されたサスティナー

 

結果として、Photonはとても素晴らしいギターに仕上がったようで、今日まで「形を変えて」

使われています。

 

さて、少し長くなってしまうので、一旦ここで切ろうと思います、

 

次回、遂に、あの「タルボ」が登場!?

 

乞うご期待!