私たち日本人が学校教育で学んだ歴史は先の大戦で戦勝国となったアメリカが意図的に事実を歪め、工作した内容を教えられてきました。それは日本国民が本来持っていた精神性や国民性をアメリカ(白人)が恐れたため、長い時間をかけてゆっくりと骨抜きにし、2度と自分達に逆らえないようにしてしまう意図があったと思われます。

 

まず、そもそも「太平洋戦争」などという戦争は存在していません。日本はこの戦いのことを「大東亜戦争」と呼び、正義の戦いに身を投じましたがアメリカ支配下で歴史は捻じ曲げられ、名称は太平洋戦争に変更されました。命懸けで戦った我々の先祖は、戦争という大悪を演じた負の歴史を担ったとして記憶されてしまいました。

 

ここではなぜ日本や日本軍の不断の努力が無に返されてしまったのか?「大東亜戦争」はなぜ起きたのか?を考察していきたいと思います。

 

大東亜共栄圏の建設に燃えた日本軍

大東亜戦争の「大東亜」とは、日本を含むアジア諸国の総称です。そこで大東亜戦争を細かく見ていくためにまず、近代以降のアジア情勢を簡単に整理しておきましょう。

 

 俗に言う大航海時代からヨーロッパ人が世界各地を航海するようになると、未発展の土地を次々と自分の物とし、原住民を想いのままに扱い、時には虐殺するという「植民地支配」を始めました。

 

 最初にアジアを植民地にしたのは「オランダ」でした。「インドネシア」を支配下に置いたオランダは、現地住民を安い賃金で働かせることで安く食料や資源を仕入れられるようになり、世界でも有数の経済大国になりました。これを見た「フランス」は「インドシナ(現在のベトナム)」に、「イギリス」は「インド」、「アメリカ」は「フィリピン」に進出。オランダ同様に現地住民を安い賃金で働かせ、自国に莫大な利益をもたらしました。これに味を占めた欧米列強は、さらに植民地の拡大を図ります。

また19世紀に入ると、徐々に弱体化していた清(今の中国)は列強にどんどん圧力をかけられ、領土の大半を失ってしまいました。

 

 一方日本は明治維新によって近代化し、欧米に負けないだけの力をつけ、台湾と韓国を併合することに成功しました。しかし日本の支配は欧米のような奴隷的な支配ではありません。台湾では時に抗日運動が起こったりはしたものの、台湾全土への鉄道敷設・上下水道の整備・公衆衛生の意識改革・教育制度の充実などの政策を施し、台湾は大きく発展しました。現在の台湾政府や国民はとても親日的です。

 韓国では日本の統治時代を負の歴史とする意識が強いですが、その実態は台湾と同様の政策により、経済的に豊かな国へと成長しています。

 このように東アジアで確固たる地位を築いた日本は、明治時代頃から論じられてきた「興亜論」をもとに、欧米列強の支配に抵抗するアジアの革命勢力を支援し、アジア圏の国家による連携体制を取ろうとしたのです。

 

これを「大東亜共栄圏」と言うようになりました。

 

それに対抗するヨーロッパ諸国や悔しくも結果的に欧米列強に飲み込まれてしまった支那(中国)との戦争へと発展していきます。これが「大東亜戦争」なのです。

 

「大東亜共栄圏」は日本がアジア諸国を欧米列強の植民地支配から救済する思想でありアジア諸国の侵略・支配思想ではありません。そして「大東亜戦争」はアジアの独立を阻もうとする勢力との戦いであり、昨今の学校教育で学ぶ歴史認識とは全くの逆です。

 

それでは、この時の政府や天皇は大東亜戦争をどのように考えていたのでしょうか?

 

「帝国声明文」と「終戦の詔勅」から見る大東亜戦争と大東亜共栄圏への想い

 昭和16年(1941年)12月8日、日本はアメリカの真珠湾に攻撃を仕掛けました。

この真珠湾海戦を機に俗に言う「太平洋戦争」はスタートしたと言われています。対米戦線が開かれた12月8日に、朝日新聞の一面にて発表された「帝国政府声明文」にはこう書かれています。

 

(意訳)

「東南アジア諸国への出兵は、現地住民に敵意を持っているからではなく、米英の植民地支配を排除し、アジアを本来の姿に戻し共に栄えていくことを祈念するに他ならない」

 

帝国政府声明文は、開戦の詔勅(天皇陛下のお言葉)を受けての政府声明という体裁をとっています。これは日本がアジアの独立自存を取り戻そうとしていたこと、そしてその思想を良しとしないイギリスやアメリカと、やむなく開戦したことがよく分かります。実際に戦局を見てみると、真珠湾開戦した12月8日と同日に、イギリス領であった現在のマレーシアにあたるマレー半島を奇襲しました。その後わずか半年ほどでシンガポール・香港・ビルマ(ミャンマー)・インドネシア・フィリピンなどで列強を破っています。既に支那(中国)やインドシナ(ベトナム)・インドに向けても戦闘を始めている状態です。もちろん上手くいったことばかりではありません。作戦の失敗でインドへの進軍は叶いませんでした。フィリピンは既にアメリカから独立を約束されており、統治には苦戦しました。日本軍は現地住民と共に台湾などの時と同様に接し、決して欧米列強のように住民を奴隷として扱うことはしませんでした。日本の大東亜共栄圏という理想はうまくいっていました。

昭和16年(1941年)の宣戦布告から2年余り、日本は関係各国と合意したとのことで「大東亜共同宣言」を発表します。昭和18年(1943年)には各国の代表を集められた大東亜会議が開催され、この宣言が採択・発表されました。大東亜共同宣言の内容は次のようになっています。

 

(意訳)

そもそも世界各国がそれぞれ、その所を得て、互いに頼り合い助け合って全ての国家が共に栄える喜びを共にすることは、世界平和確立の根本です。しかし米英は、自国の繁栄のためには、他の国や民族を抑圧し、特に大東亜に対してはあくなき侵略と搾取を行い、大東亜を隷属化する野望をむき出しにし、ついには大東亜の安定を根底から覆そうとしました。

 

大東亜戦争の原因はここにあります。

 

大東亜の各国は、互いに提携して大東亜戦争を戦い抜き、大東亜諸国を米英の手かせ足かせから解放し、その自存自衛を確保し、次の綱領に基づいて大東亜を建設し、これによって世界の平和の確立に寄与することを期待しています。

 

一、大東亜各国は共同して大東亜の安定を確保し、道義に基づく共存共栄の秩序を 

  建設します。

 

二、大東亜各国は、相互に自主独立を尊重し、互いに仲良く助け合って、大東亜の

  親睦を確立します。

 

三、大東亜各国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、大東亜の

  文化を高めます。

 

四、大東亜各国は、互恵のもとに緊密に提携し、その経済発展を図り、大東亜の繁

  栄を増進します。

 

五、大東亜各国は、全ての国と交流を深め、人種差別を撤廃し、広く文化を交流し

  進んで資源を開放し、これによって世界の発展に貢献します。

 

 

こうして日本は理想を掲げて勇ましく戦いましたが、徐々に戦局は不利になり、とうとう降伏を促すポツダム宣言を受諾する決断をしました。すなわち終戦です。昭和天皇が終戦を知らせるメッセージを録音し、それが8月15日の正午に「玉音放送」として全国に流されました。その一節には、昭和天皇の大東亜共栄圏への並々ならぬ想いが語られていました。

 

(意訳)

「アメリカ・イギリスに宣戦布告したのも、日本の自存と、アジアの安定を心から願ったためであり、他国の主権を押し除けたり、領土を侵したりすることは、私の意志ではない(中略)私は日本と共に常にアジアの解放に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表する。我が国民で戦死し、殉職し、不幸にも命を落とした者たちと、その遺族に思いを馳せると悲しみに耐えない。また怪我をし、戦禍に遭い、仕事を失った者たちの厚生を考えると心が痛む」

 

昭和天皇は全国民を前に、自存とアジアの安定を願って米英との戦いに踏み切った事、領土を侵し他国の主権を奪うことは本意ではないと、はっきりと述べられています。この意志は開戦当初の帝国声明文での意思表明と何ら変わらないものです。

そして「東亜」諸国に本懐を遂げられなかったことに遺憾の意を示された後、戦争で傷つき、家族を失い、財産を失った国民たちの将来を憂いていらっしゃいます。本来であれば自国民の心配が真っ先に出てくるべきでしょう。しかし昭和天皇が最初に謝意を述べられたのは、アジア諸国の住民に対してでした。おそらく天皇にとって「帝国臣民」とは、日本国民だけでなく共に戦ってくれた諸国民をも含んでいたのではないでしょうか。敗戦を迎え、建前上は植民地としながらも欧米列強から解放し、日本と共に戦ってくれたアジア諸国の人々にも思いを馳せていらっしゃったとすれば納得がいきます。

 

そして大東亜戦争を共に戦い、共に敗れた日本人たち、そして大東亜共栄圏内の人たちにこう呼びかけられています。

 

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、未来の平和の実現のため、道を開いていきたい」

 

③大東亜戦争の目的は達成されていた!?

日本はポツダム宣言を受諾し「無条件降伏した」と言われ続けていますが本当にそうでしょうか?降伏文書をきちんと読むと、日本は条件付き降伏をしたことがわかります。

 

第5条には「我々の条件は以下の通り。条件からの逸脱はないものとする。代替条件はない。遅延も一切認めない」とあり以下第13条まで降伏条件が挙げられています。

 

日本はこの条件を受け入れて降伏したのです。ただし、第13条にはこうあります。

 

「我々は”日本政府”に対し”日本軍”の無条件降伏の宣言を要求する」 

 

つまり、無条件降伏したのは日本軍であって日本政府でも日本国民でもありません。

 

「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」という戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画によって、「日本は無条件降伏をした」と信じ込まされその影響は今も続いています。またこれはWGIPのほんの一例です。

 

また「日本は大東亜戦争に敗れていない」という考え方もあります。プロイセンの学者カール・フォン・クラウゼヴィッツは、「戦勝国とは、戦争によって外交目的を達成した国である」と語っています。つまり日本は戦闘においては局地的に敗れたものの、アジアの解放・欧米式植民地支配の終焉という目的が達成されたという意味においては、戦勝国であるということです。

 

アジア各国は日本のポツダム宣言受諾後、日本の支配下にいた国々は再び元宗主国の欧米列強との戦いに身を置くことになります。特に勇敢に戦ったのはインドシナ、現在のベトナムでしょう。日本の助力によってフランスからの独立を果たしていたベトナムは、1945年以降、再び侵攻してきたフランスに戦いを挑みますが、フランスを幾度も破り、追い出す事に成功します。そして両国の戦いにちょっかいを出してきたアメリカをも相手取り、独立を達成しました。

 

こうしてアジア諸国は日本のアジア開放の意思を引き継ぎ、全て独立を果たしました。大日本帝国の本来想定していた形ではなかったと思われますが、戦争の目的であるアジア解放は達成されたのです。「大東亜戦争」の名称は、アメリカが優位に戦いを進めた太平洋での戦闘にフューチャーした「太平洋戦争」に変わってしまいました。しかし、日本の大東亜共栄圏への想いは、アシア諸国に確実に伝わっています。

 

以下は当時のアジア諸国の首相や政治家の大東亜戦争に対する評価です。

 

インドネシア:モハメド・ナシール元首相

「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」

 

ミャンマー:バー・モウ元首相

「歴史的に見るならば、日本ほどアジア人を白人から離脱させることに貢献した国はない。しかしまたその解放を助けたり、あるいは多くの事柄に対して範を示してやったりした諸国民そのものから、日本ほど誤解を受けている国はない」


タイ:ククリット・プラモード元首相
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」

 

マレーシア:ラジャー・ダト・ノンチック元上院議員

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」

 

 

これらのことからも分かるように、日本の戦いは決して無駄ではありませんでした。

 

しかし今の日本はどうでしょう? 現在日本のトップ、閣僚、政治家の方々は本当に日本人なのでしょうか? 

 

大東亜戦争で亡くなった全ての方々へ敬意を表して。

 

 

「政治・経済・技術の辞書より引用」