江戸時代から私たちは身体をどちらかというと人工身体式に見る様になったと言われています。しかし源平から戦国時代にかけては違う風に見ていました。

 

鎌倉時代に「九相詩絵巻(くそうしえまき)」というもの描かれています。インドにおいては実際に「風葬」といって死体があるところで瞑想する修行のことを「九相観(くそうかん)」と言います。

これは人が死ぬまでには九つの姿を経るというものですが、日本ではそれを絵に書いてお寺に飾りました。13世紀においてこんな絵を描いた文化はおそらく日本だけでしょう。これを人間の姿としてリアルに描き、人の身体というものをこういう風に見ることができる目を私たち日本人の祖先・先輩方は持っていました。また絵を見るとわかりますが、体が腐敗していく様子など細かく描かれています。またこういった絵が日本では他にもたくさん描かれています。これは見事な一種の写生であり、嘘の絵ではありません。

 

この絵を見て残酷感や嫌悪感を抱かれる方々もいるかもしれません。またこういった絵を見たときに人としてではなく化け物として見たりする。しかしこういう風な絵を冷静に描くことができる人達の中から生まれたのが「方丈記」や「平家物語」であり日蓮、道元、法然、親鸞でした。

 

平家物語の有名な一節

 

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」

 

これはそういった当時の背景がある中で書かれており、鐘の音ひとつにとっても現代人とは随分と違って聞こえていたことがわかります。

 

江戸以降から現代社会において、これらの自然な身体の流れを心の中に取り込むと言う様な作業が行われてきました。

そしてそれは私たちの社会が身体に関してある二つの完成した形をとっていました。

 

一つは言語・言葉すなわち「言語表現」です。もう一つ重要なのは「身体表現」です。基本的に我々は運動の中にこの2つの表現を持っています。

そしてこの身体表現が日本ではとても重要視されていました。

 

その身体の表現を我々の祖先は「修行」と呼び、その修行をやること、特定の方向でそれをやっていくことを「道」と呼び、(茶道・華道・武道など)

この道が完成するとそれは「型」と呼びます。型は典型的な「表現」です。

 

そしてこの「身体の表現」と「言語の表現」すなわち首から上の表現と首から下の表現は互いに支え合っているものです。

武士はこのことを「文武両道」と呼びました。「文」は首から上「武」は首から下のことを指します。

 

またこう言ったものは日常生活の中から立ち上がってきたものです。

 

ですが明治以降はこういったものを「社会制度」と捉え徹底的に潰しました。

その潰していったものの中には言語表現でない身体表現も含まれていました。それは文化に干渉し大正時代に至るまでに多くの「型」が消えていきました。

そして戦後に入るとそれはさらに消え、極端に言えば「型」は無くなってしまいます。

 

それは現代にどういった形で現れているかと言いますと例えば「電車やバスの中での行儀の悪さ」

これは行儀が悪いのではなく「型」がないので身体を持て余している状態だと著者は言います。

 

また身体表現を切り捨て徹底的に言葉で置き換えようとした結果、「戦後のマスコミの肥大」が起こります。

 

身体表現というのは言わないで通じる「以心伝心」すなわち「型」があれば通じる。現代社会においては言葉が重視されすぎ、この二つのバランスが崩れ、言語表現が肥大して身体表現が縮小した時代であると著者は言います。

 

いつの時代においても人間は心と体のバランスがとても大切だという事ですね(笑)

 

うまくまとめることができませんでしたがとても興味深い話だったので書記。

 

ニッポンをかっこよく。

 

「養老孟司の講義より」