私が日本の歴史に再度興味を持ち、考察し始めたのは田中英道先生著の「邪馬台国は存在しなかった」という本に出会ったのが大きなきっかけでした。この衝撃的なタイトルを見たときに、「どうせ新手の都市伝説的な自論だろう」と半信半疑でありましたが、読み進めていくうちに邪馬台国の信ぴょう性はもとより、「これは今まで学んだ歴史を再確認する必要性がある」と考えるようになりました。邪馬台国に関しては諸説色々ありますがそもそも存在していなかったといった考え方です。その根拠について簡略化して記したいと思います。

 

◉「魏志倭人伝を疑う」

 「古事記」「日本書紀」の成立は、神武天皇の東征があった3世紀初めよりずっと後のことなので「同時期の文献があればもっと確かなことがわかる」と考えられますが、そこでよく持ち出されるのが歴史の教科書にも出てくる「魏志倭人伝」です。

 3世紀初め、中国では漢の滅亡後、国々が分裂し、勢力が弱まっていました。そのせいもあって、当時の中国の歴史書には「倭」と呼ばれていた日本のことが3世紀後半~5世紀初めにかけて全く出てきません。その中で唯一、日本に触れていると考えられるのが「魏志倭人伝」です。

 そのため学者たちはこぞって「魏志倭人伝」を取り上げ、盛んに研究し、議論していますがいまだはっきりした結論は出ていません。

「魏志倭人伝」を重視してしまうと「記紀」の記述が正しくないと見えてしまうのです。しかし逆に言えば「記紀」が邪馬台国や卑弥呼を無視しているのはそれが無視されてしかるべきものであるから、と考えることができます。

 

 ここで田中氏は「魏志倭人伝」は歴史書ではなく、晋の陳寿(ちんじゅ)が海南島あたりの1つの国を想像して書いたフィクション、想像の物語であり、卑弥呼も架空の人物にすぎないと考察されています。

 

 「魏志倭人伝」には、「倭はいくつもの国に分かれて争っていたが、やがて卑弥呼という女性を建てた邪馬台国が中心になってまとまった」というように書かれています。ではそれが史実だとすれば邪馬台国はどこにあったのでしょう。「魏志倭人伝」には倭に行くまでの行程が詳細に書かれています。その行程をたどってみると日本からは大きく外れ、とんでもない海洋上に出ます。

 そこで研究者たちは行程の数字のつじつま合わせをしました。(今の1里と昔の1里では距離が違うなど)そして目新しい遺跡や、遺物が発見されるたびに、「これは邪馬台国に関連するものだから、邪馬台国は九州にあった」「いやそうではない畿内だ」と長年繰り返されてきた論争を始めるのです。「数字は間違いだが、邪馬台国の記述は正確だ」というのです。

 

田中氏も言われていますが、こうした研究者はなぜ「魏志倭人伝」そのものの信憑生を疑ってみないのかが不思議でなりません。

 

 中国には昔から「中華思想」があります。「中国は世界の中心で、文化的に最も優れており、周辺国は全て野蛮国である」という思想です。広い世界を知らない、独りよがりな未熟者の思想だと私は思います。しかしこの思想は中国の歴史の中でずっと続いており、現代に至るまで受け継がれているようです。「魏志倭人伝」では邪馬台国の「邪」、卑弥呼の「卑」とわざわざ悪い意味の漢字を当てています。これは明らかに蔑称で、中華思想の表れです。日本についてどのようなイメージを抱いていたのかは分かりませんが、実際は何も知らずに「こんな野蛮な国がある」ということを述べたのが「魏志倭人伝」ではないかと思われます。

 

 「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は「鬼道につかえ、よく衆を惑わす」と書かれているそうです。このような女性が天照大神と関係しているなどという考えを多くの研究者が持っていること自体、理解に苦しみます。また、「千人の侍女と、一人の男子が卑弥呼の飲食の世話や取次をしていた」と書かれているようですが、こうした形態は天皇家の伝統とは全く違うものですし、シャーマニズムのような信仰形態も、当時の日本とは大きく異なります。

 

◉「卑弥呼神社がない」

 現時点で、邪馬台国や卑弥呼の存在を示す遺跡や遺物は、全く発見されていません。「卑弥呼神社」が日本に一つもないことを見ても、卑弥呼の存在の怪しさが分かります。外国である中国で書かれた「魏志倭人伝」に名前が載るほどの女王なら、どこかに神社が残っているはずです。

 しかし「延喜式」の神社総覧をいくら調べても、「卑弥呼神社」など載っていないそうです。ちなみにインターネットで検索すると、鹿児島の「卑弥呼神社」がヒットしますが、この神社が建てられたのは現代です。邪馬台国ブームに乗って、昭和57年(1982年)に創建された神社で、霊験あらたかなものではありません。

 

田中氏は、日本の歴史を考える時、邪馬台国や卑弥呼は必要ないと言われています。

深読みしたい方はこちらを参考にしてください。「邪馬台国は存在しなかった」(勉誠選書) https://honto.jp/netstore/pd-book_29413353.html

 

 ここまで田中英道先生の説を大まかにまとめましたが、「魏志倭人伝」についてはさらに詳しく探る必要があることも確かです。私は邪馬台国が仮に存在したとして、日本の一部地域に土着した、個人女性を中心とする小集落に過ぎなかったのではないかと考えます。生活形態も天皇家の伝統とは大きく違うことから、それこそ秦氏(ユダヤ系帰化人)とは別の帰化人だったのかもしれませんね。