◉ヤマトタケルの荒ぶる血筋をたどる

 「日本書紀」では日本武尊「古事記」では倭建命と表記されるヤマトタケルは、父である第12代景行天皇に愛されるとともに憎まれ、最後には打ち捨てられました。熊襲征伐、出雲平定、東国征伐を行なった「英雄」ヤマトタケルは第14代仲哀天皇の父でもあります。そのような重要な存在でありながら、生年は不詳で死も謎に満ちています。今回はそんなヤマトタケルの新説について考察して見ましょう。

『日本武尊・川上梟師』(1883年/明治16年)月岡芳年

 

 

 ヤマトタケルの行いを見て行くと、天皇の血筋として揺るがないけれども、彼の行なった残忍で卑怯な殺人行為には日本人らしからぬ「異常性」が多々あります。その異常な行為を下記に記します。

 

・双子の兄殺し

 父の選んだ娘2人を妃にしてから、父との会食にも出てこなくなった兄を呼んで来るように命じられたヤマトタケルは、呼んで来るどころか手足を切り落として殺し、その死体を捨ててしまいます。その後このむごたらしい行為に驚いた父・景行天皇は、ヤマトタケルの暴力性は戦闘向きであると考え、熊襲討伐を命じます。

 

・熊襲討伐

 熊襲の2人の兄弟はヤマトタケルにより、兄は胸から背中までを突き刺され、弟に至っては尻に剣を刺して切り裂かれました。

 

・出雲征伐

 出雲建(イズモタケル)を殺すためにヤマトタケルはまず、彼と親しくなり信用させてから裏切るといった卑怯な計画を立てます。結局、出雲建は木でできた偽りの刀を持たされたため戦うこともできないまま、殺されました。策略だったという見方も取れますが、日本の武士的な方法とは異なる、いかにも「大陸風」なやり方です。

 

 彼がこのような一連のむごたらしい殺しを行うのは、実は彼の中に、帰化人の血が流れているためだはないかと田中英道先生は考察されています。

次はその具体的な根拠を血筋をたどりながら説明していきます。

 

 ヤマトタケルの母、つまり景行天皇の皇后・播磨稲日太郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)は、「古事記」に若権吉備津日子(わかたけきびつひこ)の娘と書かれています。つまりヤマトタケルの母は、前方後円墳で知られる播磨の吉備一族の出で、秦氏をはじめとする渡来人の一大拠点が播磨でした。

 母親が秦氏の源郷の1つである播磨に生まれたことは、ヤマトタケルに渡来人、あえて言えばユダヤ人の血が流れており、それが彼の行動に多大な影響を与えていたとは考えられないでしょうか?

 

 田中英道先生の研究によると、関東から発掘される多くの古墳時代の人物埴輪に、「ユダヤ人埴輪」が多く発見されているとされています(写真)。

芝山古墳出土 ユダヤ人的人物埴輪

 

 これらの埴輪は武人として刀を帯び、帽子に髭、そして美豆良(みずら)をつけています。これらの埴輪は6世紀に登場しますが、すでに第15代応神天皇時代のおよそ4世紀から5世紀にかけて中央アジアの弓月国(クンユエ)から大量のユダヤ人グループが渡来していることが考えられ、西アジアの人々がたくさんやってきていました。

 それとともに、大陸的な、またはユダヤ人的な暴力性が平和な日本にもたらされたと考えられます。多くの異国の女性たちもやって来て、そうした血も日本人に入ってきたことは容易に想像されます。

 またそれらの人々の中に、日本に渡ってきた古代ローマ、中東経由の巨大建築の経験者がおり応神天皇陵・仁徳天皇陵の巨大化には彼らの協力があったのではないかと考えられます。なぜならあのような巨大な古墳群を作る技術力・構想力・組織力に、これまでの日本人とは異なるエネルギッシュな力の登場が見られるからです。特に秦氏の存在は、それに大きく貢献した事を証拠立てています。つまり異質の文化が入ってきて日本人に利用されているという事です。

 

 

◉暴力性に見る帰化人の気質

「古事記」や「日本書紀」などに書かれている残忍な記述について、「日本人は野蛮国であった」という理解の仕方をし、「権力争いをやっていた日本では悪人が多かった」と考える方がいらっしゃいます。しかし、そうした暴力性を発揮した代表的な存在ともいえるヤマトタケルの母親は帰化人の一族で、彼はそのような気風を強く受け継いだのです。

 ヤマトタケル以降も、天皇を中心とした一連の血なまぐさい事件がずっと続きますが、それがあたかも天皇家の権力争いであるかのような、あるいは、天皇家の血筋の争いと見られてしまっています。ところがそうではなく、一連の天皇を巡る物語りの中に、それまでの「国譲り」や「戦わずして退く態度」が失われており、それと異なって残酷な戦いを常としていた大陸の遊牧民的な気質、すなわち平気で人を殺すという、帰化人系の気質が、大陸からのユダヤ人の流入といった形で形成されていったというある種の特殊な歴史が日本にはあったのではないかと考察します。

 

 大陸人は平気で人を殺しますが、その血を引くヤマトタケルを見て「これが日本人の性格だ」と思うのは正しくありません。日本人は防御のために戦うことはするけれども、テロを行ったり、あるいは人をおとしめたり、不意打ちを食らわしたりすることは好まないのです。ヤマトタケルが猛々しい性質として描かれているのは、彼に大陸の血が濃ゆく流れていたからこそではないかと思います。

 

つづく