文章、初期設定:八割ChatGPT ストーリー:私
深夜に暇つぶしで作った原文のままです。
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主人公: フェロ(12歳、人間のふりをしている小型ロボット)
舞台: 雨が永遠に降り続く都市「アメロポリス」
トーン: 静かでちょっと切ないSF風
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ある日、フェロは古びた傘を拾った。傘の内側には、誰かが手書きでこう記していた。
> 「この雨が終わるとき、君に会いに行く」
雨の止まない都市で、生まれたときから傘しか知らないフェロは、この一文がどうしても気になってしまった。だって、雨が「終わる」とはどういうことだろう?誰が誰に会いに行くのだろう?
そして彼は、傘の持ち主を探す旅に出ることにした。
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フェロは、人間のふりをして友達になった少年・ロンに、拾った傘に書かれていた手書きの文字のことを話した。
そして、その傘の持ち主を探しに行きたいと思っていることを打ち明ける。
話を聞いたロンは、少し考えてから「一緒に行こう」と言った。
ロンには心当たりがあった。
都市のはずれで喫茶店を営んでいる、何でも知っていると噂のおじいさんのことだ。
古い出来事や、この街の裏側に詳しい人物らしい。
二人は、その物知りのおじいさんを訪ねることに決め、街の外れへ向かうことにした。
喫茶店は「雨音珈琲店」という名前だった。都市のはずれ、誰も通らないような古い通りにぽつんと建っていた。店の窓には水滴がびっしり張りついていて、外からは中の様子がまったく見えない。
フェロとロンが扉を開けると、カランと鈴が鳴った。
「……いらっしゃい」
カウンターの奥にいたのは、分厚い眼鏡をかけた白髪のおじいさんだった。少し猫背で、背中を丸めながらも、不思議な気品があった。店内には雨の音と、小さな蓄音機のジャズだけが流れていた。
フェロは拾った傘と、その内側の文字のことを話した。
おじいさんは少しだけ驚いた顔をして、カウンターの下から一冊の古いノートを取り出した。
「それに書かれていたのは、“雨終(うおわり)文字”だよ。百年ほど前、この都市にいたとある男が使っていた表現だ。彼は『雨が止む未来を見た』とよく言っていたらしい。」
フェロの目が光る。「その人は、まだ生きてるの?」
おじいさんは首を横に振った。
「彼はもうずっと昔に姿を消した。でも、彼の残した“鍵”がどこかにあると噂されている。雨を止める“鍵”だ。君たちの持っている傘は、その手がかりかもしれない。」
ロンがつぶやいた。
「それって……この雨の都市を変えるってこと……?」
おじいさんは紅茶を注ぎながら静かにうなずいた。
フェロとロンはおじいさんに鍵の在り処を尋ねた。おじいさんは二人にこう伝えた。
「鍵について詳しいことは聞いたことがないが、この都市の秘密についてなら知っている。この都市のどこかには昔、雨が振り続ける原因を作った博士がいて、彼の研究室には実験失敗の副産物となった街の雨を止ませるための研究記録と手がかりがあるらしい。
…また風の噂程度だが、彼は死の直前に彼の生きた証として精巧な人造人間を作ろうとしていたようだ。まあ人間と同じように意思を持って生きる人造人間なんて作れっこないと私は思うがね。」
ロンは目を丸くして言った。
「えー!その博士のせいでこの街は雨が振り続けるようになったの!なんて悪い博士なんだろ。
しかも生きた証として人造人間をつくるなんて。
それにそんな悪いやつが残したロボットなんてもし居たらちょっと怖いかも。
フェロもそう思うでしょ?」
フェロは笑顔で答えた。
「ね。ちょっと怖い。しかもそのロボットが野放しになってるとしたら何しでかすかわかんないよね。」
ロンは頷いた。
フェロはその場に合わせながら頭の中では自分が初めて目覚めた誰もいない研究室を思い出していた。
研究室の記憶は断片的だった。機械の冷たい起動音、埃をかぶった書類の山、そして――目覚めたあの日、薄暗い部屋の片隅で拾った、あの傘。
フェロはその記憶を静かに胸の奥へしまい、おじいさんに向き直った。
「その研究室、どこにあるか分かりますか?」
おじいさんはゆっくりと首を横に振った。
「正確な場所は誰にもわからない。ただ、“雨の中心”にあると噂されている。街のどこを探しても見つからない。けれど、雨の音――あれだけは正直だ。音に耳を澄ませば、ほんの一瞬だけ、違う“響き”が聞こえる場所があるという。」
ロンは首をかしげた。
「響き……?」
おじいさんはにやりと笑った。
「この都市では雨がすべてをかき消す。でも、ある地点ではその雨音がほんの少しだけ歪んで聞こえる。それが“雨の中心”への入り口かもしれない。傘がその音を拾うという噂もあるよ。」
フェロは傘を握りしめた。心臓のような駆動音が、どこか緊張して速くなっていた。
「行ってみよう、ロン」
ロンは少し不安そうにしたものの、にっこりと笑った。
「うん。フェロが一緒なら、きっと大丈夫!」
店を出た二人の背中を見送りながら、おじいさんは静かに呟いた。
「……さて。“彼”の遺したものが、本当に意思を持つなら――この雨は、どこへ向かうのかね」
雨の響きが歪む場所を探す旅は、思ったよりも静かで、そして優しかった。
フェロとロンは毎日、傘を片手に街を歩いた。どこにいても雨は止まないが、二人で一つの傘に入れば不思議と心が温まった。道の片隅、屋根の下、橋のたもと。様々な音に耳を澄ませては歩き、また確かめていった。
ある日、人気のない裏通りで迷子の女の子に出会った。
女の子は濡れた足元を気にすることもなく、泣きじゃくっていた。フェロはすぐに膝をつき、目線を合わせて優しく声をかけた。
「大丈夫だよ。いなくなったお母さんを、一緒に探そう」
フェロの声はあたたかく、女の子は次第に落ち着きを取り戻した。ロンも一緒に走り回って、最終的に駅前の人ごみの中で母親と再会させたとき、女の子は涙をこらえながら笑った。
その帰り道。ロンはぽつりと言った。
「フェロって、本当に良いやつだよね」
フェロは目を丸くした。
「僕が?」
「うん。困ってる子を見て、あんなふうに声かけられる人ってなかなかいないよ。君の友達でいられること、すごく嬉しい。僕も……君みたいな“人間”になりたいな」
フェロは少しだけうつむいて、小さく笑った。
「ありがとう、ロン。でも、僕は……」
その先の言葉は、傘に打ちつける雨音に消えていった。
何日もかけて探し続けたある日。
二人は中心街の裏路地に迷い込んだ。そこは古い建物が並び、看板はほとんど朽ちていて、誰も近寄らないような雰囲気だった。
ふと、フェロが立ち止まった。
「ロン、聞こえる?」
傘を傾けると、確かにそこだけ、雨の音が違っていた。ほかの場所と違って、まるで水面に金属を落としたような、低く鈍い“響き”が混ざっていた。
ロンは小さく息をのんだ。
「ここだ……ここだけ、音が変だ」
フェロは傘の先を雨だまりに向けた。水面に映る二人の姿が、一瞬だけ揺れたように見えた。
そして、壁の一部に不自然なヒビが走っていることに気づく。
「……この中に、“雨の中心”があるのかもしれない」
ふたりはゆっくりと、そのヒビの先――地下へと続く秘密の扉へ手をかけた。
階段を降りた先、空気は冷たく、湿っていた。まるで時間の止まった場所だった。
フェロとロンの目の前に広がる研究室は、埃と時間にまみれた無人の空間。フェロには見覚えのない場所――だが、どこか懐かしい感覚が微かに胸をかすめる。
部屋の奥にはひび割れた試験管、倒れた装置、そして無造作に散乱する“人間”のようなパーツたち。手、目、皮膚の断片。歪んだ笑顔を張りつけた人工の顔。それらはどれも未完成で、どこか痛々しかった。
ロンは顔をしかめ、フェロの腕にしがみついた。
「フェロ……ここ、やばいよ。僕、少し怖いかも……」
フェロはその手をそっと握り返し、落ち着いた声で言った。
「大丈夫。ここにはもう誰もいない。ただの記録と残骸だよ。ね、一緒に調べてみよう?」
二人は部屋の棚をめくり、埃にまみれたファイルやメモを片っ端から読みあさった。
そこには、ある老博士の執念と孤独が綴られていた。
――街に降り続ける雨は、気候制御実験の失敗によるもの。
――その失敗を取り戻すため、街の東と西に“雲散装置”を設置。
――中央研究室の“主導装置”が鍵を受け取ることで、全てが作動し、雨は止む。
――だが、博士は老いに勝てず、鍵を持って最後の一歩を踏み出せなかった。
ロンが目を輝かせる。
「すごい……!もしこの装置が動いたら、雨は止むんだよね?街が変わるんだ!うわぁ、なんかすごい冒険みたいじゃない?フェロ!」
フェロはうなずいたが、その表情はどこか沈んでいた。
「……うん、でも最後の“鍵”が何かわからないと、主導装置は動かせない。それに……博士はなぜ、自分の人生をこれに捧げようとしたんだろう」
ロンはあまり深く考えず、地図を広げて言った。
「ま、今は装置を探すことからだよ!これが地図の印ってことは、たぶんここが一つ目で、こっちがもう一つ!行ってみようよ!」
フェロはロンの勢いに微笑みを返しながらも、研究室の片隅、埃をかぶった小さな鏡に映った自分の姿を一瞬見つめた。
“もし僕が、博士の“生きた証”なら――”
その考えを胸の奥にしまい、フェロは傘を手に取った。
「……うん。行こう、ロン」
雨はまだ止まない。でも、確かに何かが少しずつ動き出していた。
まず二人は、東の装置を目指した。
都市の東側は、地図の端に押しやられたような場所だった。
壊れかけの建物が重なり合い、路地は昼でも薄暗い。
雨水と油の混じった匂いが常に漂い、人の視線は鋭く、短かった。
ここはスラムと呼ばれる地域だった。
治安は悪く、秩序というものがほとんど機能していない。
誰もが誰かを信用せず、それでも誰かと群れなければ生きられない場所。
フェロとロンは、情報を集めるために、スラムに集まる家出少年少女の小さなチームに混ざった。
年齢も境遇もばらばらだが、共通しているのは、行き場がないことだった。
彼らは盗みや運び屋、見張りといった危うい仕事を引き受けながら、
街に怪しい装置がないか、噂話を拾い集めていた。
フェロとロンも同じように動き、少年少女や、裏取引に関わる大人たちと会話を重ねた。
危険な仕事の合間に交わされる言葉は、いつも曖昧だった。
だが、その断片をつなぎ合わせていくうちに、共通する話題が浮かび上がる。
スラムの中央に立つ、古い塔。
その奥深くに、炉のような巨大な構造物があるらしいという噂。
二人は塔へ向かった。
塔の内部は、外よりもさらに暗かった。
鉄製の階段は錆び、足音が不自然に響く。
上へ登るほど、空気が重くなっていくのが分かった。
途中で、気配が変わった。
視線。
息遣い。
人ではないものを見るような、歪んだ感覚。
塔に潜んでいた殺人鬼が、二人を見つけた。
次の瞬間、逃げるしかなかった。
足音が背後から迫り、階段を駆け上がるたびに、塔全体が軋む。
息が切れ、視界が揺れる。
二人は塔の上まで逃げたが、そこで行き止まりだった。
背後から、ゆっくりと殺人鬼が近づいてくる。
そのとき、フェロは気づいた。
床の中央に、大きな穴が開いている。
炉の投入口のように、底の見えない闇が口を開けていた。
フェロは、わざと足を止め、殺人鬼を挑発するように視線を向けた。
相手の注意を自分に引きつけ、穴のそばまで追い詰められる。
壁を背にした瞬間、
ロンが動いた。
殺人鬼の死角から飛び出し、全力で突き飛ばす。
短い悲鳴とともに、殺人鬼は穴の中へ落ちていった。
下から怒鳴り声が響く。
だが、それは長く続かなかった。
突然、重々しい機械音が塔全体に鳴り響いた。
低く、腹の奥に響くような音。
次の瞬間、殺人鬼の声は途切れ、
塔の奥から、雲へ向かって一本の光線が放たれた。
それは、雨の中でもはっきりと見えるほど、異様に明るかった。
フェロとロンは、言葉を失ったまま、その光を見上げていた。
雲はほんのわずかに薄れ、空が一瞬だけ明るさを取り戻す。
ロンはその光を見上げながら、肩で息をしつつ言った。
「今のが……装置?」
フェロはしばらく無言で光を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「うん。たぶん……これがひとつめ。きっと、もう一つの装置も動かせれば、あの雲は消えるはずだよ。」
ロンは塔の端に腰を下ろし、大きく息をついた。
「……フェロ、さっきの、怖くなかった?あんなの、初めてで……僕、足が震えてる。」
フェロはロンの隣に座って、静かに言った。
「正直、怖かった。……でも、君がいなかったら、僕、今ここにいないよ。ありがとう。」
ロンは照れくさそうに笑って、「フェロが無事でよかったよ」と言いながらフェロの肩を軽く叩いた。だがその目はどこかまだ怯えていて、それでも無理に笑おうとしているようだった。
塔の外では、スラムの子供たちが何事かとざわめいていた。塔から放たれた光は、街の片隅に希望のようなものを灯していた。何人かの子供たちは空を見上げ、手を伸ばしていた。
フェロはもう一度空を見上げ、ぽつりと呟いた。
「……“鍵”って、なんなんだろうね」
ロンはそれを聞いて、しばらく考え込んだ。
「博士が“生きた証”として残そうとしたものがあるって、おじいさんが言ってたよね。もしそれが――」
言いかけて、ロンはフェロの顔を見た。
「……いや、なんでもない。ただの思いつきだよ」
フェロは小さく微笑み、軽く頷いた。
「行こう。次は西の装置だね。」
スラムの雑踏を背に、二人は塔を後にした。まだ雨は降っている。けれど、ほんの少しだけ、空が明るくなったように見えた。
森はしっとりと濡れていた。雨は木々の葉に遮られ、ぽつ、ぽつ、と遠くで静かに鳴っている。東の塔を出発して数日、フェロとロンは地図を頼りに森の中へと進んでいた。
広くて入り組んだ森の中で道を見失いかけたとき、彼女は突然現れた。
「ここからは、私が案内してあげるわ。」
白いワンピースを着た女性。森の湿った空気の中で、まるで浮かんでいるかのように滑らかな動きで、二人を導いた。ロンもフェロも疑うことなく彼女に従った。
途中で立ち寄ったのは、苔むした小さな家。森の奥に、そんな場所があるとは思えなかった。けれどその家は、どこか懐かしい匂いがして、疲れた二人にはあまりにも心地よく思えた。
「今日はもう遅いし、ここに泊まっていきなさい。」
ロンは礼を言ってすぐに眠りに落ちた。フェロも同じように休もうとしていたが、眠れなかった。静かすぎる森の音。窓の外には、見慣れない星のような光が、雨の合間にちらちらと瞬いていた。
やがてフェロはそっと部屋を出た。女はリビングに座っていた。蝋燭の火が、ゆらゆらと彼女の白い頬を照らしていた。
フェロが近づくと、彼女は目を合わせずに言った。
「あなた、人間じゃないわよね。」
フェロは、背筋が冷たくなるのを感じた。
「……どうして、そう思うの?」
「あなたの目。とても綺麗だけど、どこか、全部を映していない。光の奥に、空っぽがある。」
フェロはしばらく黙っていた。けれど、なぜかその沈黙を責めるような気配は、彼女の中になかった。
「……うん。僕は人間じゃない。ロボットなんだ。博士って人に作られて、気づいたら研究室の中でひとりだった。」
彼女は小さく頷いた。
フェロは静かに話を続けた。
「ひとりで起き上がって、動けるようになって……それで、自分が何なのか知りたくなった。人間ってなんだろうって。それで、ロンに出会ったんだ。」
フェロはうつむき、拳を握りしめた。
「でも……もしロンが僕の正体を知ったら、きっと怖がると思う。……嫌われると思う。僕は“友達”だって言ってくれたけど、それは人間の僕に向けた言葉であって……ロボットの僕には、言ってくれないんじゃないかって。」
静寂が落ちた。森の音さえ聞こえなくなった。
女はふと、微笑んだ。
「私はね、生きていたころ、大切な人に本当のことが言えなかったの。怖かったから。でもね、今になって思うの。伝えればよかったって。だって、言わなきゃ、何も始まらないもの。」
彼女は立ち上がり、フェロの肩に手を置いた。人間の手の温もりはなかった。だけどそれは、どこか母のような、優しい感触だった。
「あなたは、ちゃんと感じてる。だから大丈夫。きっと――大丈夫よ。」
蝋燭の火が揺れて、彼女の姿が一瞬、透けたように見えた。
フェロはそっと頷いた。
「……ありがとう。」
その夜、雨は静かに、降り続いていた。
ロンと幽霊の女が眠る家の中。深夜、雨の音がまた少しだけ強くなっていた。
フェロは一人、家の裏手にある木のベンチに座っていた。雨は軒に守られて体にはかからない。だけど、その音は皮膚の下にじわりと染みてくるようだった。
彼は目を閉じる。
浮かぶのは、初めて目を覚ましたあの日。
冷たい床。ぼんやりとした天井の灯り。工具や書類が散らばった部屋。誰もいなかった。音がなかった。世界が最初から、無音だったように感じた。
起き上がって、棚に触れ、椅子に触れ、鏡を見た。
「――これが、僕?」
その瞬間、自分が誰なのか、どこから来たのか、何をすべきなのか、何も分からなかった。だけどそれ以上に――怖かったのは、誰にも知られていないということだった。
誰にも見られず、誰にも覚えられていない存在。自分がここにいるということを、誰も知らない。もしここで止まったら、きっと誰にも気づかれないまま、永遠に朽ちていく。
「それが、僕?」
誰かに確かめてほしかった。僕はここにいるよと。誰かに名前を呼ばれたかった。手を引かれたかった。
だからフェロは、研究室を出て街に出た。
最初は誰も話しかけてくれなかった。人間のふりをすることもぎこちなくて、よく知らない感情のまま動いていた。
それでも、ある日、ロンが笑いながら声をかけてきた。
「君、迷子?それとも、ちょっと変な旅人?」
その声はあたたかくて、無意味に思えた世界が少しだけ、音を取り戻した気がした。
フェロは、ロンに出会って、世界に色があることを知った。
少しずつ、人のことが分かってきた。名前を呼ぶことの重さ、手を握ることの意味、笑い合うときの静かな震え。
それを、全部壊してしまうのが怖い。
「……でも」
と、フェロは呟いた。
「本当のことを言えなかったら、僕はずっと……誰にも“僕”として覚えてもらえないまま、終わってしまう。」
蝋燭の火が揺れるように、心の奥がかすかに揺れた。
彼が“生まれた”という事実に意味があるとすれば、それはきっと、自分を知ってくれる“他者”の存在によって証明される。
フェロは静かに立ち上がった。夜はまだ深く、雨はまだ止まない。
だけど、彼の中にははっきりとした輪郭が生まれつつあった。
「ロンに……いつか、言おう。」
朝。雨はまだ細く降り続けていたが、霧が晴れたように森の空気は澄んでいた。
幽霊の女の家の縁側に立つフェロとロン。ロンは背負い袋の紐を締め直しながら、嬉しそうに女に頭を下げた。
「本当にありがとう!地図も食べ物も助かるよ。それに、こんな素敵なおうちに泊めてくれて。」
フェロも静かに一礼する。「ありがとう。とても落ち着けたよ。」
女は柔らかく微笑む。どこかこの世のものではないような、儚い美しさを湛えながら、手渡した地図をフェロの胸にそっと押し当てた。
「気をつけて。森は、あなたたちのことをずっと見ているわ。」
二人は顔を見合わせたが、意味はよく分からなかった。
「……うん、気をつけるね!」
ロンが元気に答える。
三人で庭を横切り、家の小さな門の前に立った。門の外には、昨日は気づかなかった細い森の小道が続いている。
「じゃあ、行こうか」とロンが言い、フェロも頷く。
二人が森の小道を歩き出したとき
女の声が、背中越しにふと風に乗って届いた。
「……彼はきっと、あなたを赦すわ。」
足を止める二人。
ロンが眉をひそめながら振り返る。「今、なんて言った?」
フェロもゆっくり振り返る。
けれど――女の姿はもう、どこにもなかった。
門のそばには誰もいない。立っていたはずの場所には、雨に濡れた草花が揺れているだけだった。
ロンは小さく呟いた。「え……?」
フェロも少しの間、その場を見つめていたが、やがて静かに顔を伏せた。
「……行こう。」
そう言って、再び歩き出す。
森の小道に、雨の音とふたりの足音だけが響いていた。
ロンはちらちらとフェロの横顔を盗み見ていた。フェロの足取りは変わらない。でも表情が――いつもより、遠い。
「……さっきの、女の人の言葉、聞こえた?」
ロンが口を開いた。フェロは顔を上げると、少し間を置いて頷いた。
「うん。『彼はきっと、あなたを赦す』……って、言ってた。」
「彼って誰なんだろうね?」
フェロは答えなかった。ただ、木々のざわめきと雨の音の合間に、ぼんやりと自分の思考の中をたどっていた。
(彼……)
それは、ロンのことだろうか。 フェロが本当は人間じゃないと知ったとき、ロンが自分を許してくれるという意味?
でも――あの女の声は、どこかもっと遠くから響いていたように思えた。
(それとも、博士……?)
フェロの記憶にある、あの誰もいない研究室。自分が目覚めた瞬間の、あの静けさ。 姿を見たことはない。けれど、血の通った手で自分をつくった存在。 その人がもし今もどこかで見ていたとしたら―― あの人が、自分を赦す?
それとも、自分があの人を赦す?
それとも。
フェロはふと、手にしていた傘の柄の部分に目を落とした。そこには、手書きのメッセージの痕跡がある。にじんだインク。そこにあった「君」という呼びかけ。
(……傘の持ち主? あの手書きの“君”)
その誰かが、フェロの存在を赦してくれる……そんな未来があると、あの女は予感していた?
でも、そんなことがありえるのだろうか。
「……フェロ?」
ロンの声に、フェロはハッと我に返った。
「ごめん、ちょっと考えごとをしてた」
「なんか、さっきから元気ないからさ」
ロンはそう言いながら、フェロの目をまっすぐに見てきた。その眼差しは疑いじゃない。心配とも少し違う。強いて言えば、「知りたい」という気持ちだ。友達として、ちゃんと向き合いたいという。
フェロは笑ってみせた。
「大丈夫。……でも、女の人の言葉、ちょっと気になってて。」
ロンは頷く。「僕も。……でもさ、誰が“彼”でも、フェロが今ここにいて、僕の隣を歩いてるってことが一番大事だと思うよ」
その言葉に、フェロの胸に小さく波紋が広がる。
(……僕が何者であっても、ここにいること。誰かの隣に、今、いること)
それが、赦されるということなのかもしれない。今は、まだわからないけれど。
森を進んでいくと、静かな開けた場所にたどり着く。
そこには真ん中に大きな機械、その傍らに小さな見るからにロボットのようなもの、少し離れたところに小屋があった。
二人が恐る恐る機械に近づくとロボットは起動し、こちらを見て話しかけてきた。
そのロボットは、どこか古めかしく、体の表面は苔や土で少し汚れていた。だが目にあたる部分が、起動とともに淡く光を帯びると、機械というよりも「誰か」に見える気がした。
「――起動認証、完了。……ようこそ、来訪者。貴方は、“博士”の後継者ですか?」
突然の問いに、ロンが驚いてフェロの後ろに少し隠れるようにしながら声を上げた。
「ぼ、僕たちは違うよ! 博士って、あの雨の原因を作ったっていう……?」
ロボットは少し黙った。頭部がかすかに傾いた。まるで考え込んでいるかのように。
「……博士の遺志を継ぐ者が現れるのを、長く待っていました。ここの装置を稼働させるには、“意志”の証明が必要です。私には、それを判定するための問いを与えられています。」
フェロが一歩前に出た。「問いって、何?」
ロボットは静かに言った。
「この世界にとって、“雨”は災いですか、祝福ですか?」
フェロとロンは顔を見合わせた。
「……どういう意味?」とロンが聞く。
「博士は、街に降り続ける雨を“失敗”だと記録しました。しかし同時に、彼はこの雨がもたらす静けさ、命、思索の時間に価値を見出していた形跡もあります。あなたたちがこの雨をどう捉えるか、それが……装置を起動させる意志として、判定されます。」
フェロは、雨音を聞いた。森に響くしとしととした音。ロンと出会った日も、喫茶店のおじいさんに会いに行った日も、スラムで殺人鬼と向き合った日も、あの女の家で夜を過ごしたあの日も――ずっとこの雨の中だった。
フェロは自分に問う。「雨は、災いだったか?」
雨の下で、人と出会い、心を動かされ、自分の感情を知った。 この雨がなければ、フェロはきっと――今の自分ではなかった。
「……僕は、祝福だと思う」
その言葉は、ふと零れたものだった。 ロンがはっとしてフェロの顔を見た。
「本当に、そう思うの?」
フェロは頷いた。「雨が嫌なことばかり連れてくるとは思わない。もちろん悲しいことや怖いこともあった。でも、それだけじゃなかった。僕はこの雨の中で、生きているって思えたんだ。」
ロボットは数秒の沈黙の後、静かに両目を瞬かせた。
「判定完了。……祝福。条件を満たしました。装置、起動します。」
ロボットが装置に近づくと、再び重い機械音が森に響き渡り、装置から天へとまっすぐな光が放たれた。
二箇所目の装置が起動した。
ロンはフェロを見て、小さく微笑んだ。「……やっぱり、君ってすごいよ。」
フェロは何も言わなかった。ただ雨の中で静かに、その言葉を受け取った。
西の装置が作動した。
森の静寂を裂くように、機械の咆哮が空に響いた。黒く垂れ込めていた雲の一角が光に貫かれ、一瞬だけ、その隙間からわずかな青空が覗いた。フェロとロンは、無言のまましばらく空を見上げていた。
ぽつ、ぽつ、とまだ降り続ける雨の下で、ロンがぽつりと呟いた。
「これで、二つの装置は起動したんだよね。……あとは、研究室の主導装置だけだ。」
フェロはゆっくりと頷いた。「うん。もう、随分遠くまで来たよね。」
「戻るの、大変そうだなあ。森を抜けて、また街を越えて……」
ふたりがそんな風に話していると、ふいに背後から機械音が鳴った。先ほどまで沈黙していたそばのロボットが、再び目を光らせ、ぎこちなく首を動かしながら言葉を発した。
「この小屋の奥に、地下研究室へと直通するトロッコの乗り場があります。博士の移動用に設置されたものです。研究室まではまっすぐ。一度も地上に出ずに帰れます。」
「……えっ、本当に?」とロンは目を輝かせた。
フェロは、視線を小屋の方へ向けた。木造の古びた小屋は、外から見る限りとても使われているようには思えなかった。だが、ひとつ確かなのは――ここまで来て引き返すという選択肢は、もう彼らの中にはなかった。
二人は静かに小屋の扉を開けた。中は薄暗く、埃の匂いが鼻をついた。天井からは裸電球がぶら下がり、かすかな明かりがトロッコを照らしていた。古びた金属製の車体が、レールの上にぽつんと置かれている。そのレールは、奥へと続いていたが、十メートルほど先からは完全な闇に飲み込まれていた。
フェロはレールの先を見つめながら、口を引き結んだ。「……大丈夫かな。壊れてたり、途中で止まったりしないよね。」
だが、すぐそばから声がした。「ねえフェロ、見てよ!これ、すごくない?まるで冒険映画の中に入ったみたいだ!」
ロンが、無邪気な目でトロッコを見上げていた。あの目の輝きを見て、フェロは静かに笑った。
「……うん。行こうか。」
そうして二人はトロッコに乗り込んだ。フェロが操作盤のレバーを引くと、重々しい音とともに車体が震え、ゆっくりと動き出す。ガタン、ゴトンとレールを滑る音が小屋の中に響き、トロッコは暗闇へと飲み込まれていった。
こうして、最後の目的地へ向けて、二人の旅の終わりが静かに始まった。
トロッコは、闇の中をひた走っていた。ガタン、ゴトン、という規則的な音が、静かな地下の空間に反響する。照明のないトンネルの中では、周囲の壁も天井も見えず、まるで空中を滑っているような感覚だった。
ロンは、隣で目を輝かせていた。「すごいね……!まっくらだけど、なんだかワクワクするよ。」
フェロは笑みを浮かべつつも、内心では少しだけ緊張していた。この古いトロッコが本当に研究室まで無事に運んでくれるのか、確信は持てなかった。
そのときだった。
――キィィイイ……
鈍い軋み音が、突然耳を打った。車体が左右に大きく揺れ始め、レールをこすれるような不快な振動が床を通じて全身に伝わる。
「えっ……何!?」
「つかまって!」
フェロが声を上げたその直後、トロッコが大きく跳ねた。金属が悲鳴のような音を立て、車輪がレールを外れた瞬間、重力がすべてを奪っていく。
二人の体は宙に投げ出された。
ドンッ――!
闇の中で、何か硬い床に打ちつけられる音。フェロは自分の背中に衝撃が走るのを感じた。ロンをかばった拍子に、思いきり背中から落ちたらしい。しばらくの間、肺の中の空気が抜けたようになって、何も動けなかった。
「フェロ!? フェロ、大丈夫!? ねぇ、僕のせいで……本当にごめん……!」
近くから聞こえるロンの声。その震えた声に気づいて、フェロはゆっくりと目を開けた。彼の声が、心配よりも自責の念に満ちていることに気づいて、フェロはなんとか体を起こそうとした。
腰のあたりの金属が軋んでいるのを感じる。
「ううん……大丈夫。ちょっと、背中を打っただけ。」
痛みはまだ強く残っていたが、ロンを安心させたかった。フェロはゆっくりと立ち上がり、暗闇の中で手探りで彼の肩に触れた。
「無事で、よかった。」
ロンは小さく頷いていた。フェロは腰にくくりつけていた荷物袋を外し、中を探った。そこで、ある物が手に当たった。
「……これ、使えるかも。」
取り出したのは、女の幽霊――いや、あの優しかった女――が渡してくれた袋の中にあった懐中電灯だった。フェロがスイッチを押すと、闇を裂くように白い光が前方を照らした。
そこには、歪んだレールが続いていた。どうやらトロッコはその先で完全に横倒しになって止まっているらしい。
フェロとロンは、黙ってしばらく光の輪の中を見つめたあと、目を合わせた。
「歩いて……戻るしか、ないね。」
「うん。レールに沿って行けば、研究室には着けるはずだよ。」
二人は、懐中電灯の光を頼りに、再び歩き始めた。
暗闇の奥、静かな地下の空間に、ふたりの足音だけが小さく響いていた。
レールの上を、二人はただ黙々と歩き続けていた。フェロが手に持つ懐中電灯の光だけが、足元と数歩先の世界を照らしている。それ以外のすべては、黒い絵の具で塗りつぶしたような暗闇だった。
「……ほんとに、たどり着けるのかな。」
ロンがぽつりと呟いた。声が天井に反響して、少し不安そうに戻ってくる。
「さあ。でも、レールはずっと続いてるし、どこかには行けるはずだよ。」
「でも、ずっと地下を彷徨うことになったら……どうしよう。」
ロンの声に、フェロは少しだけ笑った。
「それはそれで、いいんじゃない? 君と一緒なら、どこでも大丈夫。どこまでも行ける気がする。」
ロンは目を丸くしたあと、照れたように微笑んだ。
「……そうだね。僕も、そう思う。」
そのあとしばらく、二人は無言で歩き続けた。けれど、やがて足取りが重くなり始める。暗闇の中を何時間も歩いていると、感覚が鈍ってくる。時間も空間も、すべてが遠くぼやけていくような錯覚に囚われた。
そのときだった。
「……あそこ、開けてる。」
フェロの懐中電灯の先に、少し広くなった空間が浮かび上がった。レールの脇にあるくぼみのような場所。床は石畳のようになっていて、埃っぽいが座るには十分だった。
二人はそこに腰を下ろした。背中を壁に預け、深く息を吐く。
フェロが荷物袋を開けると、女からもらった食料がまだいくつか残っていた。包装されたパン、乾燥した果物、そして少しの水。
「これ、まだあるよ。」
「やった。……ね、これすごくおいしい。」
「うん。手作りだったのかもね。」
二人はパンをかじりながら、ぽつりぽつりと話を始めた。
「僕たち、すごいことをしてるよね。」
「そうだね。街を変えようとしてる。」
「雨が終わったら、どんな感じになるんだろう。」
ロンは考え込むように視線を天井に向けた。
「街を散策して……景色を眺めて……街外れにピクニックに行って……日向ぼっこして……そのまま寝ちゃってもいいかもしれない。」
「雨が降ってないんだから、寝ちゃっても安全だよ。」
フェロは、ロンのその声を聞きながら、ゆっくりとパンを噛んでいた。
他愛もない話。けれど、あたたかく、やさしい時間だった。
けれど――フェロの心の奥では、別の思考が渦巻いていた。
(主導装置の“鍵”。博士が生きた証の“人造人間”。)
(……僕は、その“鍵”なのかもしれない。)
(人間じゃない。僕は機械。プログラムされた存在。雨の終わりを見てみたい……けど、それが僕の役目を終える瞬間なら……)
(――それでも、もう十分だった。)
(ロンと過ごした時間は、本当に幸せだったから。)
フェロは、視線をロンに向けた。彼は無邪気に、嬉しそうに笑っている。
(……だから、打ち明けよう。)
少しの沈黙。フェロは深く息を吸って、言葉を探し始めた。
「ロン、僕……実は――」
その瞬間だった。
パチン、と乾いた音を立てて、懐中電灯の光が消えた。
辺りは、一瞬で深い暗闇に包まれた。
ロンが小さく息を呑んだ。
「……え?」
「……電池切れ、かな。」
フェロの声は落ち着いていたが、内心には微かな焦りがあった。
しかし、もう言葉は闇に呑まれ、次の一言を紡ぐタイミングは、また静かに遠のいていった。
闇が静かに、二人を包んでいた。
フェロは暗闇の中、言葉を飲み込んだまま、黙り込んでいた。
さっきまで胸の奥で燃えていた「話さなきゃ」という思いは、消えた光とともに小さくなっていく。
(――ダメだ。こんなタイミングでなんて、うまく言えない……)
目の前にいるロンの顔も、今は見えない。ただ、暗闇の中にぽつんといる自分と、すぐそばに感じるぬくもりだけがあった。
しんとした沈黙が流れ、長い時間のように思えたが、やがてロンのやさしい声が静かに闇を割った。
「……ねえ、フェロ。」
フェロはぴくりと肩を動かす。
「いま、何か言おうとしてたよね。何か、大事なことだったのかなって思った。」
その声には、責めるような響きはまったくなかった。ただ静かで、優しく、心に直接触れてくるようだった。
「でもね……僕、思うんだ。」
ロンの声は、まるで深い井戸の底から届くように、ゆっくりと言葉を繋いでいく。
「友達って、ぜんぶを話さなきゃいけないってものじゃないと思う。秘密があったっていい。君が話したくないなら、それでも、僕は君のこと――好きだよ。」
フェロは、心臓の奥がじわりと熱くなるのを感じた。
言葉にならない感情が、胸の奥にゆっくりと満ちていく。
「もちろん……もし話してくれるなら、僕はちゃんと聞きたい。君の言葉で、君のことを、もっと知りたい。でも無理はしなくていいよ。」
その言葉は、フェロの中に積もっていた恐れや迷いを、少しずつ溶かしていった。
嫌われるかもしれないという不安、秘密を打ち明けることへの恐怖、それでも――このまま終わってしまうのは、もっと怖い。
(僕は……ロンに、全部で向き合いたい。)
暗闇の中、フェロは膝の上で指を強く握りしめた。しばらくして、そっと口を開く。
「……ロン。」
声は震えていた。けれど、その震えには勇気が混じっていた。
「僕……君に隠してたことがあるんだ。」
ロンは黙って頷いた。見えないけれど、フェロにはわかる。
「僕は、人間じゃない。ロボットなんだ。」
言葉が落ちると同時に、少しの沈黙が再び辺りを満たす。だが、今度の沈黙は、先ほどのように重たくなかった。
フェロは続けた。
「博士に作られて……目を覚ましたとき、僕は一人だった。誰もいなかった。何も知らなかった。寒かった。でも、感じたんだ。さみしいって。」
声が揺れる。
「僕には感情がある。きっと、人間と同じように。でも、それがほんとうに“同じ”なのか、自信がなかった。だから、知りたかった。君と出会って、話して、一緒に歩いて……そうしてるうちに、僕、わかってきたんだ。僕は、君のことを――」
声が詰まりそうになって、フェロは一度深く息を吸う。
「――大切に思ってる。きっと、これが“好き”ってことなんだと思う。」
言い終えたあと、暗闇の中でフェロは小さく身を縮めた。
手のひらは汗ばんでいて、喉は渇き、心臓はどくどくと早鐘を打っていた。
それでも――その胸の奥には、不思議な静けさが広がっていた。
重たい秘密を手放したあとの、少しの安堵。
あとは、ロンの言葉を待つだけだった。
暗闇の中、静寂が戻っていた。フェロの告白のあと、ロンはしばらく何も言わなかった。
その沈黙が怖くて、フェロは自分の指先を強く握った。言わなければよかったのかもしれない、そんな思いが一瞬頭をかすめる。
けれど、ロンの声は、驚くほど柔らかく返ってきた。
「……そっか。そうだったんだね。」
まるで、どこか遠くを見つめるような、少し間を置いた声だった。
「話してくれて、ありがとう。」
フェロは思わず息をのんだ。
「実はね、薄々気づいてたんだ。ほら、この冒険を始めてから、君の様子とか、言葉とか……もしかしたら、そうなんじゃないかなって。」
ロンは少し笑った。暗闇の中では見えないけれど、フェロにはその微笑みが伝わった。
「でも、実際にそう言われると、びっくりはするよ。……けどさ。」
ロンの声に、揺るぎない強さが宿る。
「ロボットでも、人間でも――君は君だよ。」
フェロは目を見開いた。見えないはずの闇の中で、心が何かに触れられたような気がした。
「ロボットだとか人間だとか、そういう区分けって……きっと人間が勝手に決めただけのことだと思うんだ。
でも本当は、ここに“僕”がいて、“君”がいるって、それだけなんだよ。」
静かな言葉だった。でも、そのひとつひとつがフェロの心の奥に、深く、まっすぐ届いてくる。
「僕は、“フェロ”が好きだから一緒にいるんだよ。」
次の瞬間、あたたかい腕がそっとフェロを包んだ。
暗闇の中で、ロンがフェロを抱きしめていた。
フェロは息をのんだ。顔も、姿も、表情も見えない世界で、ただロンの声と体温だけが、まっすぐに伝わってくる。
そのぬくもりが、自分の輪郭を優しく、はっきりと浮かび上がらせていく。
(ああ、僕はここにいる。ロンと一緒に……ちゃんと、生きている。)
心が静かに震えた。
自分が何者か――長い間問い続けていたその答えが、言葉ではなく、今ここにある“存在”として形になっていく。
ただ黙って、そのぬくもりの中に身をゆだねながら、フェロは初めて、自分という存在を信じることができた気がした。
フェロとロンは、しばらくの間、ただ黙って抱きしめ合っていた。
言葉はもう必要なかった。
お互いの存在を感じるだけで、充分だった。
闇の中に、二人の静かな呼吸だけが響く。
やがて、フェロがゆっくりと腕を緩めた。ロンもそれに応えるように、そっと腕を解いた。
暗くて相手の表情は見えなかったけれど、どちらからともなくふっと笑ってしまった。
それは照れ隠しのような、でもどこか嬉しさがにじんだ笑いだった。
「……なんか、へんな感じだね」
「うん。でも、あったかかった」
二人の声が闇に優しく溶けていく。
それから、女からもらった残りの食料を袋から取り出して、一緒に口にした。
パンのかけらやドライフルーツ。決して豪華なものではないけれど、今の二人にはごちそうのように感じられた。
「真っ暗だね」フェロがぽつりと言った。
「うん、でも……」ロンは笑ったような声で続けた。「君となら、どこにだって進める気がするよ」
フェロはその言葉に少し驚いて、それから小さく頷いた。
「僕も。……君となら、なんでもできる」
「世界を変えに行こう」
ロンの言葉に、フェロは迷いなく答えた。
「うん。行こう」
二人はゆっくりと立ち上がった。
真っ暗な空間。何も見えないけれど、心は不思議と澄んでいた。
自然と手が伸び、互いの手が触れ合い、指が絡む。
しっかりとつながれたその手が、二人を未来へと導く。
その手を離さなければ、どこまでだって行ける。そんな気がした。
「じゃあ、出発しようか」
「うん」
フェロとロンは、闇の中で手をつなぎながら、静かに歩き出した。
レールに沿って、終わりへ――そして、きっと始まりへと向かって。
冒険の終わりに向かって、二人の足音が闇の中に小さく響いていた。
暗闇の中、かすかな足音と衣擦れの音だけが続く。
前も後ろも、右も左も、光はまったく見えなかった。
ただ手の中の、あたたかいぬくもりだけが、道を照らしてくれているようだった。
ふいに、ロンがぽつりと声を漏らした。
「ねえ、フェロ。……“鍵”って、結局なんなんだろうね?」
唐突な問いだったが、その声には不安よりも、純粋な好奇心がにじんでいた。
フェロは少し考え込んだあと、静かに答えた。
「……なんだろうね。まだ、よくわからない。でも……もしかしたら、研究室で探しきれてないものがあるのかもしれない。たどり着いたら……一緒に探してみようか」
そう言いながらフェロは、自分の中のある決意に気づいていた。
“鍵”という言葉。博士の残したメッセージ。雨の終わり。そして、自分の存在。
きっと自分は、その鍵なのだろう。
それを完全に理解しているわけではない。けれど、どこかで納得していた。
静かに、深く、それを受け入れつつあった。
そして、歩き続ける二人の前に、やがて見覚えのある錆びた金属の壁が姿を現す。
「……ここだ」フェロが呟くように言った。
ロンがうれしそうに駆け寄って、研究室の分厚い扉を押し開ける。
ギイイイ……という重たい音と共に、懐かしくも不気味な研究室の内部が現れた。
暗く、埃っぽい空間。
何も変わっていない――けれど、二人の感じ方は、前とまるで違っていた。
「よかった……ほんとに、戻ってこれたんだね!」
ロンが安堵の声を上げる。
フェロも静かに微笑んで頷いた。
「うん……帰ってきた」
そのとき、ロンがふと何かに気づいたように、部屋の片隅を指さした。
「……あれ? あっちの陰、扉があるよ!」
「えっ?」
フェロが顔を上げたときには、ロンはもう走り出していた。
隠し扉のような細い入り口にすっと入り、すぐに声が返ってくる。
「フェロ! 中に……日誌みたいなのが置いてあったよ!」
ほどなくしてロンは、小さな分厚いノートを抱えて出てきた。
埃を払いながら、笑顔でフェロに言う。
「一緒に読もう!」
フェロは頷き、二人はゆっくりと主導装置の前に腰を下ろす。
その装置――世界を変えるための最後の仕掛けは、まだ静かにそこにあった。
ロンがそっと日記の表紙を開く。
中には、古びた文字でびっしりと何かが記されていた。
タイトルもなく、ただ、事実がそこに積み上げられている。
それは――人造人間の製造記録だった
湿気で波打った紙をめくると、几帳面な文字が並んでいる。
そこには、はっきりと書かれていた。
ロボットは感情を持たない。
観測される反応はすべて、学習によって得られた模倣にすぎない。
その言葉の下に、無数の失敗記録が続いていた。
起動不良、思考停止、暴走。
同じ工程を辿り、同じ結末を迎えた個体たちの記録が、淡々と積み重ねられている。
ページを進めるごとに、失敗の報告は簡潔になっていった。
そして、ある地点で唐突に途切れる。
次のページには、短い記述だけが残っていた。
――成功。
その下に、ロボットの名前が書かれている。
ロン。
フェロは、その文字から目を離せなかった。
理解しようとすると、胸の奥が静かに軋む。
あのロンと、この名前が、同じものだと認めたくなかった。
ノートを閉じたとき、背後で装置の音が鳴った。
振り返ると、ロンが主導装置の前に立っていた。
ロンはフェロに微笑み、何も言わずに装置へ向かう。
起動の直前、ほんの一瞬だけ立ち止まり、こちらを見た。
「起動したらさ」
ロンは、いつもより少し小さな声で言った。
「僕の手、握ってて」
装置が起動し、光が走る。
次の瞬間、ロンはその場に崩れ落ちた。
フェロは動けなかった。
何晩も、意識を失ったままのロンを見つめ続けた。
呼吸もある。温度もある。
なんだろうこれは。
彼に見つけてもらった日、彼が自分を良い人だと褒めた言葉、暗闇で許してくれたときの体温、笑う声、温かい視線。彼の記憶がただただ頭を巡っていた。
そのロボットを、ただ見続けた。
それでも、目を覚ます気配はなかった。
自分とは、彼とは、世界が静かに迫ってくる。
考え続けた末、フェロはそっとロンの手を取った。
その瞬間、何かがほどけるように、意識の奥が揺れる。
――記憶が、流れ込んできた。
フェロは、手を離さなかった。
最初に浮かんだのは、自分の幼い頃の記憶だった。
小さな手、遠くで呼ぶ女の声。
そして、唐突に途切れる映像。
金属がきしむ音。
視界が白く弾け、次に気づいたときには、何も思い出せなくなっていた。
そこに、別の記憶が重なってくる。
ロンのものだと、フェロには分かった。
製造されたあと、ロンは何度もメンテナンスを受けていた。
博士の後を継いだ研究者――後継者によって。
静かな研究室で、ロンは淡々と調整され、記録を更新され続けていた。
ある日、研究室に運び込まれてきたのは、ひとりの少年だった。
後継者の息子。
事故に遭い、脳の中身のほとんどが失われてしまった子ども。
医術では、どうにもならなかった。
病院から研究室へ。
躊躇いと絶望の末に、後継者はその子を受け入れた。
脳のシステムの再現には成功した。
けれど、そこに感情をそのまま流し込めば、器が耐えきれない。
崩れてしまうのは明らかだった。
だから、決められた。
記憶を消した状態で、ゼロから始めること。
少しずつ感情を学び、慣れ、受け入れるための土台を作ること。
そして、その眠りは何十年にも及ぶ。
後継者は言った。
フェロはロボットだ、と。
そういう設定で生きさせるしかない、と。
ロンには指令が与えられた。
フェロを人間の生活に導くこと。
隣で歩き、言葉を教え、感情に触れさせること。
ロンは、フェロの感情と記憶のデータを預かり、研究室を出た。
長い時間の先で、目を覚ますその日まで。
そして――
フェロが目を覚まし、二人は出会った。
記憶の流れが静まったとき、フェロは息を吐いた。
視線の先に、あの傘があった。
何度も手にしてきたはずのそれを、今は初めて見るような気がした。
フェロは立ち上がり、喫茶店へ行こうと思った。
理由は分からない。ただ、そうしなければならない気がした。
外に出ると、雨は止んでいた。
雲の切れ間から、やわらかな光が差し込んでいる。
濡れた道は、その光を受けて静かに輝いていた。
フェロは、その優しい光に照らされた道を歩く。
一歩ずつ、確かめるように。
やがて、喫茶店に辿り着いた。
喫茶店のマスターは、しばらく黙ってカウンターを拭いていた。
外から差し込む光が、ガラス越しに店内を淡く照らしている。
やがて、ふっと息を吐いてから、フェロの方を見ずに口を開いた。
「後継者と、あの森の女と、俺は友達だったんだ」
まだ雨が今ほど重くなく、空が空として存在していた頃の話だと、マスターは言った。
後継者と女は恋人同士で、互いの未来を疑わなかった。
研究室と森と喫茶店を行き来する、ささやかな日常が確かにあった。
やがてフェロが生まれた。
だが後継者は、博士との研究に没頭していった。
雨を止ませる――その意志を、受け継いでしまったからだ。
「悪い人間じゃなかった。ただ、世界を優先しただけだ」
フェロは、店を出た。
話を聞いたからではない。
聞く前から、行かなければならない場所が分かっていた。
森は、以前と変わらず静かだった。
湿った土の匂いと、葉の重なり合う音。
木々の間に、あの女は立っていた。
彼女はすぐには話さなかった。
まるで長い間、言葉を溜め込んでいたかのように、視線を落としたまま立ち尽くす。
やがて、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
ロンの製作は、日常を捨てる行為だった。
成功するまで研究室から一歩も出ず、眠る時間さえ削り、失敗と向き合い続ける必要があった。
後継者は、そこから目を逸らさなかった。
だから、最後だと分かっていながら、彼は傘を持って会いに来た。
雨の中、二人は言葉少なに時間を過ごした。
触れ合う手の温度だけが、現実だった。
帰り際、後継者は傘を置いていった。
そこには、あの言葉が書かれていた。
「この雨が終わるとき、また君に会いに行く」
女は、それを信じた。
疑う理由がなかった。
だが、雨が終わる前に、息子が事故に遭った。
フェロは病院に運ばれ、植物状態となった。
延命措置をやめるという決定が下されたとき、女は耐えられなかった。
病院を出て、家に閉じこもった。
息子を置いてきたという罪悪感と、見届けられなかった恐怖に押し潰されながら。
そんなある日、手紙が届いた。
研究室からだった。
震える指で開いた封筒の中には、後継者の文字があった。
そこには、ロンの製作に向き合う日々が綴られていた。
博士から受け継いだ日記に、研究の過程を記録し続けていたこと。
持ち込んだ食料が底をつき、飢えと疲労に苛まれながらも、研究をやめなかったこと。
ついにロンが完成した頃、後継者はもう外を歩ける状態ではなかった。
それでも死にかけの身体で、ロンのメンテナンスを続けた。
その最中、病院から連絡が来た。
最後に父親に会わせるため、フェロが研究室へ運ばれてきたのだ。
後継者は、諦めきれなかった。
病院からフェロを引き取り、ロン製作の知識と記録を頼りに、脳を構築した。
それは賭けだった。
フェロが目覚めるのは、何十年も先になる。
その間、世界がどうなっているかも分からない。
だから、ロンに託した。
フェロを導くこと。
人間の生活に慣れさせ、感情を受け止める土台を作ること。
手紙の最後には、短い言葉が残されていた。
――最後に君に会いに行けなくて、すまなかった。
――ずっと愛してるよ。
女は、その手紙を抱きしめて泣いた。
泣き尽くして、息ができなくなるほど泣いた。
それから彼女は待ち続け、死んだ。
けれど、待つことだけはやめなかった。
フェロが目覚める、その日を。
語り終えた女は、森の空気に溶けるようにそこにいる。
残されたのは、湿った風と、長い沈黙だけだった。
フェロは、しばらく動けなかった。
自分が生きていることが、誰かの待ち続けた時間の上にあると知ってしまったからだ。
女の目が、切なく愛おしい。
フェロは、女のほうへ一歩踏み出した。
女も同じように近づいてくる。
二人は、抱きしめ合った。
触れているはずなのに、腕の中は空気のように軽かった。
それでも、ほんのわずかに、体温のようなものを感じた気がした。
錯覚かもしれない。
けれどフェロは、そのぬくもりを確かめるように、しばらく動かなかった。
それから、二人はしばらく一緒に過ごした。
言葉は多くなかった。
森を歩き、風の音を聞き、ただ同じ時間を共有する。
女は時折フェロを見て、何か言いたそうにしては、微笑むだけだった。
フェロは、何度もロンのことを思い出した。
あの声、歩き方、何気ない仕草。
思い出すたびに、胸の奥で何かが揺れる。
それが何なのか、名前をつけることはできなかった。
ある日、フェロは女に別れを告げた。
もう行かなければならない、と分かっていた。
女は止めなかった。
ただ、静かに頷いた。
「行っておいで」
その一言だけで、十分だった。
フェロは研究室へ戻った。
奥の部屋に足を踏み入れたとき、ふと思い出す。
ロンが日記を取ってきたと言っていたことを。
忙しさに紛れて、まだ奥の部屋に目を通していなかった。
部屋は静まり返っていた。
ベッドの横に置かれた小さな台の上に、一枚の紙があった。
近づくと、それがロンからの書き置きだと分かった。
フェロは、その場に立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。
紙に手を伸ばす前に、深く息を吸う。
ここに書かれている言葉が、
これまでの日々を肯定するものなのか、
それとも、別れを告げるものなのか――
分からなかったからだ。
それでも、フェロは手を伸ばした。
物語は、そこで静かに息を潜める。
紙には、見慣れた文字が並んでいた。
ロンの、少し整いすぎた筆跡だった。
ずっと騙していて、ごめんね。
僕は何十年も、一人でロボットとしてあり続けていた。
人間とはどういうものか、感情とは、絆とは何なのか。
それを学び、模倣することはできたけれど、自分の中から出力されることは、ついになかった。
眠っている君に、何度も会いに行った。
反応のない君に、今日あったことを話した。
君がいつか目を覚ますと信じて。
そして、ある日。
ついに君は目を覚まして、僕たちは出会った。
感情を失ってしまった君と、感情を持たない僕。
不思議な関係だったけれど、居心地はよかった。
君との日々はとても新鮮で、僕は何も感じないはずなのに、なぜか温かかった。
君は少しずつ感情を取り戻していった。
笑ったり、迷ったり、誰かを思ったり。
そのたびに、君はとても素敵な人間だな、と感じていた。
君に感情の土台を与えるという指令を果たした僕は、
あとは鍵としての役割を全うするだけだ。
君との最後の旅は、とても楽しかった。
君はもう大丈夫だよ。幸せになってね。
大好きだよ。
フェロは、手紙を読み終えても、すぐには畳めなかった。
文字の一つ一つが、胸の奥に沈んでいくのを待つように、ただ立ち尽くす。
やがて、紙を静かに台の上に置いた。
研究室は、ひどく広く感じられた。
装置の明かりも、機械音も、すべてが遠い。
フェロは、研究室の中央へ歩いていく。
そこに、ロンは倒れていた。
かつて何度も隣を歩いた身体。
言葉を交わし、旅をして、笑った存在。
今はただ、動かないまま床に横たわっている。
フェロは、少し距離を保ったまま立ち止まった。
すぐに触れることができなかった。
ここに至るまでの時間が、重すぎた。
しばらくして、フェロはゆっくりと膝をつき、ロンの前に座った。
視線の高さが揃う。
「……そうか」
誰に向けたわけでもない、短い言葉が零れた。
怒りも、取り乱しもなかった。
ただ、理解だけがあった。
彼と自分の時間は、変わらずそこにある。
フェロは、そっとロンを抱きしめた。
壊さないように、確かめるように。
「もう一度、君に会いに行くよ」
声は静かだった。
決意というより、約束に近かった。
後継者によって改造を施されたフェロの身体は、
時間に対してあまりにも強かった。
老いも、衰えも、ゆっくりとしか訪れない。
フェロは長い年月を生き、
ロンの再製作の研究を続けた。
残された記録を読み返し、自分の中に残る記憶と照らし合わせ、何度も失敗を重ねた。
それでも、やめなかった。
理由を考えることすら、もうしなかった。
そして、ある日。
研究室の空気が、わずかに変わった。
装置が起動し、低い音が床を震わせる。
ベッドの上で、ロンの指が動いた。
ほんのわずかに。
フェロは、その光景を見つめていた。
駆け寄ることも、声を荒げることもなく。
ただ、そこに立ち、待っていた。
ロンの目が、ゆっくりと開く。
「……おはよう」
フェロは一歩、前に出た。
長い時間の中で育った哀愁と、
積み重なった愛情だけを胸に抱いたまま。
「おはよう。
また会えたね、ロン」
ロンは、少し間を置いてから答える。
「ただいま、フェロ」
研究室の外では、
雨はもう、降っていなかった。
水たまりには広がる青が映っている。