食料難になると、毎日食べている食べ物が特別な存在であることに気が付く。食べ物は、新鮮な動物や植物から得られる物であり、死んだり、腐ったり病気の動物や植物は有害なのだ。
 
 命とは何であろうか?
 
 科学万能の世の中で、命を科学的に説明できると考えている人は大多数なのかもしれない。DNAは、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4種類の核酸塩基が結合して形成されているので、DNAを設計図として私たちの命は作られているのだと信じている。
 
 DNAが右螺旋構造になる事は、命を宿す肉体を構成する必要条件になっている。即ち、左螺旋構造のDNAを設計図にした肉体は死んでいることを意味しており、これは科学的に説明できる。私たちの細胞には、左利きのヌクレオチドしか存在しないため、形成されるDNAは右利きの螺旋になるのである。もしも右利きのヌクレオチドしか存在しない生態系であれば、左螺旋構造のDNAを設計図にした肉体にのみ命を宿すことになる。
 
 命を科学的に説明できると考えている人は、右と左の差が生死の分かれ道であり、左利きのヌクレオチドが命の根源であることを証明する必要がある。
 
 左と右が生死を分けるように、科学の根源に於ける、存在と無も、右と左で完全に分かれている。
 
 存在している事は有であり、存在しない事は無である。
 
 実は、宇宙で作用する力の根源は、右と左で、有と無を完全に区別している。難しい事を言えば、自発的対称性の破れと呼ばれているもので、存在自体が右利きであるか左利きであるかによって完全に区別されているのだ。
 
 即ち、命を科学的に説明しようとすれば、存在することが命である事を証明しなければならないのです。
 
 科学者は、DNAを見付けて命を科学的に説明できると思ったが、それを追及すれば物質が存在する事が命であるとの考えに至ったのだ。
 
 やはり、私たちの命は科学的には説明することは出来ない事が理解出来る。確かに肉体を構成する身体はDNAを設計図にして作られている。しかし、心や魂は科学的に説明することは難しいのだ。
 
 逆も又真なり、一見、命がない様に見える物にも、心や魂が宿っているのかもしれません。すると、AI (人工知能)のロボットにも命は宿るのである。