①で書いた続きです。

そんなこんなで卒業旅行は
シベリア鉄道に乗るという夢は
叶うわけもなく。
運よく就職が決まってから
入院していたので
就職までは療養して4月の入社に備えた。

就職して2年経ち、
現在のダンナとはお付き合いをして
3年が経っており 
ダンナは転勤のある会社だったため
ずっと地方にいた。
それが関東へ戻ってくることになり
そのタイミングで結婚することになった。
関東とは言え北関東だったため
通勤、仕事、家事と無理をしたのか。
私が虚弱だからか。
過労で倒れ救急車。
本当に自分に腹が立った。
思うようにいかない自分の身体に。

結局、仕事を辞めて療養していたが
家にずっといるのもと
近所のスイミングで
インストラクターをバイトで始めた。
喘息だったことで3歳から18歳まで
泳いでいた?泳がされていたことが
功を奏し、結局この仕事が長くなり
今もインストラクターをしている。

その間に転勤もあり
スイミングは変わったが
インストラクターをしていたある日
目に違和感があり、
片目ずつ隠してみると右目がおかしい。
真っ直ぐの線が歪む。
 子どもの手が当たったかな?くらいに
思っていた。

日に日に歪みが酷くなり
眼科にかかった。
またお馴染みの大きな病院へと言われた。
隣の市の大きな眼科の病院へ
紹介状を出され出た診断は

黄斑変性

年配の男の人で喫煙者で
欧米人に多い… 
その当時は調べるとそんなことが
書いてあった。1つも該当しない。

歪みから
その時はもう見たいところが
真っ黒く見えるようになっていた。

すぐに治療をということで
レザーで血管を焼くか
眼中にステロイドの注射をするか。
若いからということで後者に決まった。
3回ほど眼中の注射をしたところで
症状は緩和されて
真っ黒は無くなり、視力も回復し
歪みもなくなった。
少しの後遺症はあるが
日常生活には何の支障もない。

同時期にしていた不妊治療が
功を奏し妊娠も分かったことで
治療は終了になり
その後は家のある市内の
目のCTのある眼科で経過観察を
することになった。

これは今も続いているが
10年近く経ったが変わらず
変化無しできている。

とにかく、こんな感じで
ひとつ解決するとひとつというように
何かしらで病院にかかってきた。
そして大抵、大きな病院へと言われる。

そんなこんなで
入院に慣れた37歳になった。

乳がんと言われた時
次は乳がん?
病気にかからない人もたくさんいるのに?
こんなに色々かかってきたのに
30代で私は癌になるの?
何処にもぶつけようのない
何とも言われのない理不尽な気持ちで
いっぱいになった。

わたしの人生だから、わたしの身体だから
しょうがないのだけれど。