それから、七つの鉢を持つ七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦に対するさばきを、見せよう。 地の王たちはこの女と姦淫を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。 御使は、わたしを御霊に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、 その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。(黙示17:1-6)

 

大いなるバビロンについてのエホバの証人の解釈は概ね正しいと言えます。本来、真の神に忠節を尽くすべきでありながら、世の政治勢力と結託して多くの人々を誤導しているのですから「大淫婦」と呼ばれる、偽りの宗教体制とするのは間違いではないでしょう。

とは言え、姦淫の罪を負う女であれば、本来は正当な夫(真の神)に仕えていた、あるいは使えるべき立場にあった者と言えます。またそれは「地の憎むべき者ら」である偽りの宗教全体のことではなく、それらの「母」としての特定の組織と考えるべきです。終わりの時に当てはめるなら、イエスの教えから逸脱し、三位一体の神を信奉するキリスト教世界こそ、これらの描写に唯一適合する組織と言えるでしょう。6節を読んで、中世の魔女狩りを思い浮かべる人もいる事でしょう。

 

しかしながら「大いなるバビロン」を組織のことと断定するのは早計です。なぜなら聖書は次のように述べているからです。

 

あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである(黙示17:18)

 

聖書の中で「大いなる都」と言えば、最初にエルサレムが思い浮かぶでしょう。しかし、黙示録18章に展開されている、大いなる都に関する詳細な記述は、とても現在のエルサレムには当てはまりません。イエスを殺害したエルサレムは、イエスの予言通りローマ軍によって滅ぼされ、その後再建されるような聖書預言は有りません。1948年にイスラエル国家が設立されましたが、これは英米世界強国によるものであり、神の業ではありません。現在のエルサレムは決して「地の王たちを支配」しているとは言えません。

 

しかしキリスト教を信奉する西欧諸国に留まらず、広く世界の国々の政治家に影響力を行使している宗教組織が存在します。言わずと知れたローマカトリックです。その総本山はローマにあり、法王の支配するバチカン市が一つの国家として、もろもろの国に影響力を行使していることは周知の事実です。黙示録に記されている「大いなる都」に関する詳細な描写に適合する都市はバチカンを措いて他に存在しません。この都市こそが「大いなるバビロン」の実体です。