ヨハネが福音書の冒頭に示した「初め」とは何の初めでしょうか。この「初め」は、キリスト教会で言われているような、創世記にある万物創造の「初め」ではありません。

福音書筆者ルカも「初め」に言及していますが、その「初め」は明らかでしょう。

 

テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を「初め」から詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。(ルカ1:3)

 

ルカが記した「初め」は、バプテストのヨハネの誕生の詳細からでした。同じく福音書筆者マルコは「初め」についてさらに明確に述べています。

 

神の子イエス・キリストの福音のはじめ。預言者イザヤの書に、・・・と書いてあるように、 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。(マルコ1:1-4)

 

そうです。ヨハネが記したのは「福音の初め」のことです。四人の福音書筆者はいずれも、イエス・キリストの誕生と死と復活の経緯について記しているのであり、その「初め」にはいずれもバプテストのヨハネの働きに言及しているのです。ヨハネはこの福音書を記すにあたって、創世記の創造について復習するのではなく、もっと大切な「初め」すなわち「福音の初め」について、私たちのために書き記しているのです。

 

ヨハネの福音書のプロローグは、ヨハネの第一の手紙のそれと同じ内容であり、「初めからあった」「いのちの言について」、ヨハネや弟子たちが「聞いたもの」であると述べて、それがキリストの福音の初めであることを明らかにしています。

 

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである―― すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。(ヨハネ第一1:1-3)

 

ですから初めにあった「言」とは、イエス・キリストによる福音の「言」、すなわち「いのちの言」であり、私たちに「永遠のいのち」を与えるものとなる神の「言」のことなのです。