ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。(黙示17:9、10)
聖書における「山」は、シオンの山やホレブ山のように、神がおられるところ、神の座を表します。「七つの山」である「七つの頭」は自らを神としてローマ帝国を支配した「七人の王」のことです。「五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない」との表現は時系列を指しており、ヨハネが黙示録を記した時点で「今おり」の支配者は皇帝ネロ、すなわち6番目の王に当たります。存命中に自らを神と称した最後の皇帝はドミティアヌスであり、七番目の王になります。
終わりのときに、神の裁きによって滅ぼされるのは八番目の王であり、現在はこの王が神として支配している時代と言えるでしょう。
この獣は七つの頭であるのに、八番目の王が登場するのは何故でしょうか。さらにこの八番目の王はどうして「かの七人の中のひとり」なのでしょうか。「ここに知恵のある心が必要」となります。
八番目の王は、かの七人と共通の特徴を有している点で、「かの七人の中の一人」なのです。その特徴とは、神を汚すもので、人でありながら自らを神とする、冒涜的な称号のことです。
コンスタンチヌス一世以降、三位一体が確立される中で、イエス・キリストは人であると同時に神であるとして崇められ、それ以降のローマ教皇は、この「人神キリスト」の代弁者として現在に至っています。この八番目の王である「人神キリスト」は、カトリックの歴代の教皇によって代弁されるのみならず、カトリックを偶像崇拝の罪で糾弾するプロテスタントによっても、神として崇められており、現在、地の三分の一以上の人々を欺いて最大勢力となり、世界の政治や経済に大きな影響を及ぼしているのです。