この戒めの対象は、神を代弁し、神の証人となるべきクリスチャンであることを「その1」に示しました。ですから、神を信じ、神に仕えていると自認する人は、「神の権威をみだりに用いてはならない」の真意も理解すべきです。では「みだりに唱えてはならない」、すなわち「みだりに口にしてはならない」「みだりに用いてはならない」とは、どう言う意味でしょうか。

 

クリスチャンとは「選ばれた種族」であり、「選民」「神に選ばれた者」です。神の子としての特権を与えられ、永遠の命の希望を抱いています。もしその人が、そのことでおごり高ぶり、自分に栄光を帰するような仕方で神の名を用いたらどうでしょうか。つまり、神の権威を利用して、自分や自分たちを権威ある者のようにして振舞うならどうでしょう。あるいは利己的な目的のために神の権威を利用することも有り得ます。

当のモーセでさえ、メリバの水の事件で、神の聖なることを現さなかったので、約束の地に入ることは出来ませんでした。神の業を行なうときにも、神に栄光を帰することが求められるのです。聖職者など、神に近づけば近づくほど、第三戒に留意する必要があるのです。

 

神の名を用いながら、自分の栄光を求める者はみな偽り者です。

 

自分から出たことを語る者は、自分の栄光を求めるが、自分をつかわされたかたの栄光を求める者は真実であって、その人の内には偽りがない。(ヨハネ7:18)

 

イエスは答えられた、「わたしがもし自分に栄光を帰するなら、わたしの栄光は、むなしいものである。」 (ヨハネ8:54)

 

宗教組織が神の名を用いるとき、自分たちの規定や教義を、神の権威を用いて信じ込ませることが生じています。その結果、善良な人が邪悪な行いをすることになるのです。そうした宗教指導者たちこそ、神の名を大いにみだりに唱える者達と言えるでしょう。