だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。 彼は、すべて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宣言する。(テサロニケ第二2:3,4)

 

初めにその名前に注目してください。「不法の者」の「法」とは、当然ながら「神の律法」のことです。この者は、神の律法を無効にし、無視し、あるいはそれを破る者である故に「不法の者」なのです。この者は、イエスが以下のように述べているにも拘らず、「律法は廃棄された」と公言してはばかりません。

 

わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。(マタイ5:17-19)

 

次に、「不法の者」の居場所に注目してください。彼は「神の宮」に座しています。旧約聖書における「神の宮」とは神殿のことですが、新約聖書においては「霊的神殿」、すなわちキリストの体なる教会を意味します。クリスチャンはその体の構成要素です。

 

またあなたがたは、使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である。このキリストにあって、建物全体が組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、そしてあなたがたも、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまいとなるのである。(エペソ2:20-22)

 

「不法の者」はこの霊的な神殿を乗っ取り、その中に座して、あつかましくも自らを神として君臨しているのです。