「それ昭和っぽい」とか「昭和みたいな古くささ」なんて言い方をよく耳にする。
でも、昭和は日本が世界に影響力を拡大し始めた1926年から、経済規模でアメリカを抜きかけたバブル全盛の1989年まである。昭和というのは、日本が世界に認められるために死力を尽くし、イケイケ→失敗を繰り返した派手な時代だった。
私の昭和のイメージは、東京にいつもグレーの雲がかかってどこもかしこも豪奢な建物を作って、みんなが派手に消費して、「ニッポンの未来はバラ色だぜ! ピース!」って浮かれていたバブルのイメージなんで、「素朴な昭和」なんて言われてもどうもピンと来ない。
私のイメージの昭和のほうがずっと派手。むしろ平成のほうがずっと地味なんである。それを「成熟していった時代」と見てもいいし、「活気を失っていった時代」と見てもいいだろう。どちらも正解だ。
ただ、経済力に関しては、間違いなく「活気を失っていった時代」だ。どうも私たちは「昔は物が安かった」なんて先入観があるものだが、私の印象では「昭和」のほうがはるかに物は高かった。昭和60年あたりステンレス物干しが1本3-4000円していて、今の数倍だ。学生なのに「1万円以下のシャツなんてろくなもんじゃない」と友達が真顔で言っていた。
竿だけ屋はなぜ20年前の価格で竿だけを売れるのか。いや、昔のほうが竿だけは高かっただけの話だ。「20年前の値段」ならむしろ高い。
こういうことを言うと「バブル期は異常だった」みたいなことを言いたがる人がいるのだが、あれくらいの好景気が異常なわけがない。当時は当時で経済力の裏付けがあっての好景気だ。
あの頃は日本が経済だけではなく、文化面でも牽引し始めていた。日本には伝統の力があるので、経済力がつけば、それは当然のこと。今の日本人が「世界に認められる日本すごい」なんて自画自賛できるようになったのも、その頃の功績は決して小さくない。
ただ、平成になってアメリカとの政治闘争に一方的に負けつづけ富をはき出され続けたからこうなったに過ぎない。
経済力を維持したかったら、外交力が必要。外交力は経済力と軍事力の二つの要素が重要。軍事力があってなきがごとしの日本が、だから世界一の経済力を維持するなんて無理だった。
私にとっては、それを思い知らされた30年だった。
「断捨離」って言葉は私にはちょっとうさんくさい。
もちろん、「断捨離」自体は禅の教えから派生したきちんとした思想であり、simple lifeを目指したその考え方には共感するところもあるが、単に片付けられないだけの人が、「よし、断捨離しよう!」なんて言うと、「おいおい」と思ってしまう。
また、そういう意味の「断捨離」がいちばん実行なされていたのはバブル期だろう。あの頃はいろんな古いものを捨て去って、新しいものに飛びついた時代だ。古い建物とか、そりゃもうどんどん壊していたもんね。「捨てる」と「買う」は表裏一体で、「将来は買えないかもしれない」と思うと捨てられないものだ。
もし「買えないかもしれない」という不安があっても、なおかつ捨てられるなら、それは、「自分にはもっとふさわしいものがある」という野心に燃えている若いときか、もう円熟して成長を諦めたときだろう。
「もう捨てろ」と言われないと自分では捨てられない時代になってしまったようだ。不安を抱えて、なおかつ物を手放すというのは、たしかに思想が必要なのかもしれない。
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