ブログを更新していないのにアクセス数がはね上がると、「何があったのだろう」と関心が出てきてアクセス解析を調べることがある。今回もその流れだ。
なお、映画『風立ちぬ』についてはすでにブログに書いたので、拙論にご関心があればどうぞ(→宮崎駿の「変節」 /宮崎駿監督作品『風立ちぬ』を見て/「教科書」としての映画『風立ちぬ』)。
さて、テレビ放送を見た方はそれぞれにいろんな感想を持ったことだろうが、最も多かったのではないかと考えている感想がある。それは、「大人にはおもしろいが、子供にはどうだろう」というものだ。
なぜ「大人」がそんなことを考えるかと言えば、この作品が「戦争」「不治の病と死」「純愛」「自己犠牲」「職人としての仕事」「欧米コンプレックス」「避暑地」など、子供より「大人」が好みそうな重いテーマが含まれているからである。
これらのテーマの多くは堀辰雄の『風立ちぬ』という作品がもともと内包していたものである。前にも書いたが(→過去ログ)、堀作品は全般的に「死という装置で物語を透明化する」という特徴を持っている。あからさまに言ってしまえば「少女趣味(=思春期の少女がいかにも好みそうなもの)」だ。
堀辰雄のファンは元来そういった人たちだと思う。堀辰雄こそが軽井沢を「ぶるうべりいじゃむ」などといった軽薄な暖簾の似合う街にした張本人だ。
ところが、これが宮崎作品に転化されると、少女趣味の部分が見えにくくなって、大人のテーマが浮かび上がってくる。
ところが、これが宮崎作品に転化されると、少女趣味の部分が見えにくくなって、大人のテーマが浮かび上がってくる。
これはなぜかと言えば、堀が「死という装置」を中心に描いているのに対して、宮崎監督が菜穂子の死を主人公の堀越二郎を際だたせる装置、つまり脇役に使っているからだ。
これによって、二郎を「愛する女性の死をも乗り越えて仕事に没頭する男」という、男にとってのひとつの理想像に仕立てている。
でも、これは考えてみるとかなり「ずるい」面もある。
菜穂子は不治の病で、しかも一緒にいれば二郎も感染するかもしれない。さらに、二郎は日本の空軍力を背負っているとなれば、この物語では、どう考えても「菜穂子が自分から身をひく」という選択肢しかない。
二郎がいかに菜穂子を愛していようと、「菜穂子と一緒になった」二郎は、菜穂子と「一緒にいる」という選択肢を捨てて、日本の命運を握る飛行機開発のほうを選ばざるをえない。そのせいで、愛する女性を「捨てる」言い訳がたち、二郎はピュアなままでいられる。
これによって、二郎を「愛する女性の死をも乗り越えて仕事に没頭する男」という、男にとってのひとつの理想像に仕立てている。
でも、これは考えてみるとかなり「ずるい」面もある。
菜穂子は不治の病で、しかも一緒にいれば二郎も感染するかもしれない。さらに、二郎は日本の空軍力を背負っているとなれば、この物語では、どう考えても「菜穂子が自分から身をひく」という選択肢しかない。
二郎がいかに菜穂子を愛していようと、「菜穂子と一緒になった」二郎は、菜穂子と「一緒にいる」という選択肢を捨てて、日本の命運を握る飛行機開発のほうを選ばざるをえない。そのせいで、愛する女性を「捨てる」言い訳がたち、二郎はピュアなままでいられる。
しかも、二郎はすでに亡くなった菜穂子にエールまでおくられてしまう。どう考えても、一人でひっそりと死んでいった菜穂子に、そこまで求めるのは酷だ。
実はこの作品は「愛を選びたかった才能ある男が、愛する女性を失いながらも日本の命運のために仕事にのめりこんでいく」という男のロマンを描いた、みようによってはなんともご都合主義な、男のエゴ丸出しの作品でもある。
種を明かせば、「大人にはおもしろいが、子供にはどうかな」という感想を持つのは、たいていは働く男性だろう。
実はこの作品は「愛を選びたかった才能ある男が、愛する女性を失いながらも日本の命運のために仕事にのめりこんでいく」という男のロマンを描いた、みようによってはなんともご都合主義な、男のエゴ丸出しの作品でもある。
種を明かせば、「大人にはおもしろいが、子供にはどうかな」という感想を持つのは、たいていは働く男性だろう。
反対に、もののわかる聡明な女性が見えれば「男のエゴ丸出しの子供っぽい作品」に見えるかもしれない。明確にそれを感じなくても、なんとなく違和感のあった人もいたかもしれない。男にだけに都合がいい話だから、それも当然だ。
念のために言っておくが、私はそれが悪いと言いたいのではない。
念のために言っておくが、私はそれが悪いと言いたいのではない。
映画『風立ちぬ』を「大人の作品」と言い切ってしまうのに抵抗があるだけであって、前にも書いたようにすばらしい映画だと考えている。
ただ、それは「大人」でなく、「男」にとって都合のよい「男のロマン」であるのは否めない。男から見た「男のロマン」とは、女から見れば単なる「男のエゴ」である。
ときどき好きな異性のタイプとして「いつまでも少年のような男性がいい」などと言う女性がいるが、あれは単に「おっさん」が嫌いだから言っているのだろう。
残念ながら「おっさん」とは、中身が子供なのに大人のふりをしてそれを認めない人のこと、つまり「老けた少年」のことである(→過去ログ)。
実際に「いつまでも少年のような男性」がいたとしたら、結婚には向いていない面倒くさい男性かもしれない。「ロマン」なんて所詮は独りよがりなものだ。
残念ながら「おっさん」とは、中身が子供なのに大人のふりをしてそれを認めない人のこと、つまり「老けた少年」のことである(→過去ログ)。
実際に「いつまでも少年のような男性」がいたとしたら、結婚には向いていない面倒くさい男性かもしれない。「ロマン」なんて所詮は独りよがりなものだ。
そういう意味で、映画『風立ちぬ』は男のエゴをいかんなく発揮した名作ではないだろうか。
ところで、今回なぜこんなうがったことを書いたのかと言えば、冒頭のアクセス解析だ。本ブログに「風立ちぬ・男のエゴ」というキーワードで検索してたどり着いた方がいたからである。きっと聡明な女性だろう。
ところで、今回なぜこんなうがったことを書いたのかと言えば、冒頭のアクセス解析だ。本ブログに「風立ちぬ・男のエゴ」というキーワードで検索してたどり着いた方がいたからである。きっと聡明な女性だろう。
だったら、その忸怩たる思いを代弁してあげようなどと、つまらないおせっかい根性を出してしまった次第。


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