小学校における英語の導入にはご存じのように賛否両論がある。しかし、導入自体はすでに規定事項である。
小学校の英語導入の事実上のトップは教科書調査官の菅正隆先生である。かたや、反対派の代表が慶応大学の大津由紀雄先生だろう。このお二人がキーパーソンであることに異論がある方はおそらく少ないと思う。
神戸大学でこのお二人が参加するシンポジウムがあった。
私は小学校英語がどんなふうになっているのかまるで把握していないので、このお二人の話を一度聞いてみたいとかねがね思っていた。
今回は賛成派代表と反対派代表が直接ぶつかるのである。おもしろくないはずがない。
まず小学校英語そのものであるが、英語を教科として導入するのではないという。「教科じゃなかったら何なんだ?」と思った方が多いだろう。私もそう思った。
小学校英語は実は「課外活動」なのである。
どういうことかというと、小学校英語は英語のスキルを教えるのではなく、英語を使ってコミュニケーションを経験する場になる。たとえば、アメリカ人の補助教師に対して、Hi!などと言われたら、Hi!と返すことを「経験する場」を与えられるに過ぎない。英語を語学として教えるのではない。あくまで使う機会が与えられるだけである。
しかも、英語が始まるのは小学5年生からだ。1年で30時間ほどしか費やされないそうなので、わずが60時間。これでは、たしかに英語のスキルを教えられても意味がない。
今回、シンポジウムに参加してよくわかったのだが、小学校で本気で英語が教えられるわけがないと導入する立場の人たちも考えているのだ。ただでさえパンク寸前の小学校教師に、英語を加えるというのはたしかに酷であるし、きちんと英語を教えるのは不可能に近いことだ。
では、中学校から英語教師を派遣したらどうかということになるが、それでは小学校が中学校の英語の「下請け」になってしまう。中学校の先生たちの負担も大きい。結局、「コミュニケーションの経験をする場として英語を活用する」程度しかやれないというところに落ち着いてしまった。
小学校で英語を導入できるような環境は整っていないのに、「英語導入」が先に決まっていて、そのシナリオに従って苦労してカリキュラム作りを推し進めているのだ。菅氏の立場がかなり苦しいものだということが言葉のはしばしにわかった。なんだか同情してしまった。
はっきり言って税金のムダである。こんな半端なやり方なら、やめたほうがましなのではないだろうか。毎回毎回、文科省というのはつくづくダメだな組織であると痛感する。「教育は会議室でおこなわれるのではない。現場でおこなわれるのだ」と言いたくなる。
続きます。