伊藤和夫と入不二基義は何が違うのか | 真面目に脱線話@リンガランド英語塾

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英語や芸能など、思いついたことを適当に書いていくという、そういうブログです。

今月、伊藤和夫氏の考え方を、薬袋善郎氏と山口俊治氏との比較で論じたことがあります。そのとき、「入不二基義氏も論じて欲しい」とご要望がありました。



そこで、今回、入不二基義氏の構文論を取り上げてみたいと思います。



入不二氏は哲学者で、現在、青山学院大学心理学科教授です。



大学教師になる前は駿台予備学校で実力派の英語講師として教鞭をとり、1993年に駿台文庫から『<思考する>英文読解』(絶版)を出版しましたが、現在は哲学の分野で大活躍しています。



入不二氏は、知る人ぞ知る伊藤氏の「愛弟子」です。伊藤氏についても「『英文解釈教室』というミクロコスモス」と「二つの頂点――『英文解釈教室』と『ビジュアル英文解釈』」という論文があります。



基本的な考え方は伊藤氏に依拠していまが、哲学者らしい立場から伊藤氏の方法論にも、いわば「批判の目」を向けています。



伊藤氏の考え方、とくに『英文解釈教室』のように構文を中心に論じる場合は、どうしても文の要素を分類することに終始せざるをえません。



なぜなら、形で英語を考える場合、その単語が文の中でどんな役割を果たすか考えなければならないからです。とくに英語の語順で予想する場合は、とくに初期段階では「Xの役割はAである」といった名づけをする練習が必要です。



しかし、実際の英文にはAにもBにも分けられない曖昧なものが多く含まれます。『ビジュアル英文解釈』では、そういったものについては、「無理に分類せず、それはそういうものだと考える」と説明します。



では、曖昧であれば説明不可能かというと、実はそうではありません。この点を進化させたのが入不二氏です。



たとえば、入不二氏の解説で興味深いものに「準補語」の考え方があります。こちらで適当に英文を作例して、説明します。



My mother sat there.



これは「母がそこに座った」という意味の「SV+副詞」の英文です。



My mother sat watching TV.



「母は座ってテレビを見ていた」という意味ですが、構造的にはMy mother satとMy mother was watching TVを足したものだと考えればいいでしょう。



これはSVCの英文だとされています。しかし、典型的なSVCの英文、たとえばMy mother seems tired.「母は疲れているようだ」といったものとは、全く違ったものです。



そこで、このときのCを「補語」と区別して「準補語」と呼ぶことにします。



では、次の英文はどうでしょう。



My mother sat there watching TV.



ここではwatching TVを準補語とは言い切るのに抵抗が出てくる方もいるでしょう。次はどうでしょうか。



My mother sat there, watching TV.



カンマによってwatching TVは完全に切り離されているので、watching TVは明らかに分詞構文です。



このような「組み込み→分離」といった発展的なプロセスとして考えれば、これまで曖昧に見えていたものが、「準補語と分詞構文のあいだにあるもの」と明確に認識できるようになります。



入不二氏の構文論で一貫しているのは、伊藤氏が「分類」で論じたものを、できるだけ有機的なつなげて、連続体として見ようと試みることです。そのために、角張った印象のある伊藤氏の構文論にくらべると、しなやかさで柔軟です。




一見すると伊藤氏の方法論をやさしくしたもののように感じますが、そうではなく、あくまで伊藤氏と同じ場所に立ったままで、類型論を脱出しようという強い意志が働いています。




これは時制の見方についても同様です。



続きます。



【参考リンク】
http://homepage2.nifty.com/irifuji/index.htm
http://wiki.livedoor.jp/irifuji/
http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/879.html


【参考文献】(アマゾンにリンクしています)
『〈思考する〉英文読解』(駿台文庫)



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