近頃、というか、特に5月22日から何かが変わった気がします。
これは私の感覚なので、他の方がどう感じているかは分からないのですが、これは私の成長記録として書いている部分もあるので、私の独り言として聞き流していただければ幸いです。
5月22日は、何だか夢なのか現実なのか分からないくらいボーッとして眠い日でした。何かが変わりつつあるのは分かっていたので、自分としては「キテるぞ、キテるぞ」という気持ちでした。そんな中、日本語として大好きな言葉で常に頭の中で繰り返している「ありがとう」について考えました。「ありがとう」は素晴らしい言葉で、大好きです。でも、よくよく考えると「あるのが難しい」、「こんなに良い事は滅多にない事だから」、「ないのが前提」のニュアンスである事に気が付いてしまいました。
でも、全ては「あり難い」のではなく、「ある」。
私の中の理解では、もはや、あるのが当たり前。「全ては今ここにある」という時代に突入している。もはや良い事を「引き寄せる」のも、旧時代のあり方になってしまっています。何故なら、ないものを引き寄せるまでもなく「全てはもう既に今ここにある」からです。
これまでのまま、制限があって、常に何かが足りなくて、怖くて、先が見えない、お化け屋敷の様な地球のスリル感を味わい続けたいという方もいると思います。その一方で、もうそんな地球はこりごり、もう何も心配する事がない、愛が基本法で、全てが既に「ある」、のほほ〜んとした地球の方が良いという人もいるでしょう。どちらもありです。私は、愛が基本法の地球が良い。今は、それぞれが、好きな方を選べるのでしょう。
これが、最近の私の気付きでした。
そして、長年私が密かに翻訳に悩み続けてきた「I AM」問題にも新たな展開が。
英語のスピ系の文章には欠かせない「I AM」。どうしても理解しやすい日本語に訳せなかった。「私はある」では、日本語として意味不明だと思っていました。でも、いつも唱えていた「ありがとう」に違和感を感じ始めていた私は、気が付いたら「あり難う」を「私はある」に置き換えて頭の中で繰り返すようになっていたのです。
(以前は頭の中の自動思考に気が付いた時に咄嗟に置き換える為の言葉として「ありがとう」を使っていたのを「私はある」に最近は変えています。)
あれ?「私はある」?どこかで聞いた事があるけど…そうです、「I AM」の翻訳として私が以前に却下した「私はある」が何とここで登場!そういう事か!
悩んだ挙句、色々気付いた上で、「I AM」は「私はある」という翻訳で良かったのかもしれないと今は考えています。でも、こういった悩みの過程を通して、「私はある」の事を理解した人でないと「私はある」の本当の意味は分からないという意味では、まだ翻訳としては採用しないでおこうと思います。
最近はブロッサムのメッセージの更新も減っているけど、ブロッサムも色々考える事があるんでしょうね。みんな、それぞれ考える事があると思います。
でも、もうのほほ〜んとしたい人は、「私はある」、「今ここが完璧」、「全てはもう既に今ここにある」事を知って、安心して、何気ない日常に感謝しつつ、特に何も達成しなくてよい、いるだけでよい、生きているだけでよいという気持ちでいこう。
また何かあれば書きます。
じゅん