ティアランご本人の原文をフェイスブックより

引用させて頂きました



私たちは死を恐れるときに残していくモノを心配する。断捨離が流行るのも死を意識する人が増えたせいだ。しかし、残ることはあっても残すことはないと知れば私たちは死んだあとの三次元的な後始末の心配から解放される。輪廻のサイクル内で死ぬ場合と昇華する場合に別の現象が起きると昨晩メッセージを受け取った。この情報が私の内部構造を完全に書き換えたことは激しく実感する、私は疲れきっていない限り寝る前に自分のエネルギーやエネルギー体をチェックする。昨晩の気付きのあとには全く別のエネルギー状態がまざまざと現れた。朝になればまた以前の通常感覚に戻ると思いきや、私の変革は最終段階に入った模様でセル光学というヒントの土産物と共に大きな超越が物理的にも起きた実感である。



私がいなくなる日あなたがいなくなる日
~アセンション昇華の真実~



なにも心配することはない
私が昇華する時私はこの世から消える
死という今までの消え方ではなく
アセンションし昇華する時の消え方は全く別である

私は別の場別の次元に速やかに移動する
その時今までの世界にいる人々の全ての記憶から

私は抹消される...
私の肉体も私物もなかったこととなる

二人姉妹の私は全ての関わった人々の中で他の人にとって替わるか、元々妹である人は独りっ子であった設定に速やかに書き換えられる。
まるでババ抜きであがった人から抜けてゲームからいなくなるように、ゲームの輪は縮小するようであるが、実はこのゲームとババ抜きの違いは誰かがあがればまた誰かが参入してくる点である。入れ替わり立ち替わりだとゲーム続行中の人には気づかせないようにこれは進行し続ける。ゲームの輪はインフィニティ永遠に続くが次元上昇した場に昇華すると再会の祝賀が催され、無意識は解消され思い出のような記憶のようなものが復活する。しかし、ゲームはマトリックスの中の出来事であるという認識がある。

叡知に触れる慶びに戻る感動は新鮮で私たちはそれを意図して進化のシステムを楽しみ乗りこなす。

つつがなく繰り返す無意識の鍛練タンレンの場と覚醒の慶びに満ちた意識下の循環により叡智の拡大が促され、私たちはその目的である生命の樹=生命の集合意識=神、への奉仕と神からの恩恵という循環を慶びと生命そのものとし、それは今の呼吸のように自然で必然であり、その上昇するワクワク感はエネルギーの同化現象であり、神のエネルギーに同化するべく、螺旋を描くイメージで同化するエネルギーの重力のような引力のような神の場に吸い寄せられる状態になっており、神との融合に向け、より親チカシくなり、神に融合し絶大な共有化した存在になる。

その過程が私たちの宇宙空間での存在性である。人は人として生きているようで実は神を意識し活きる場と神を忘れて生きる場の絶妙な交換で成長拡大している。これは今、人としてマトリックスのゲーム中に在っては不必要なはずの情報であるが、無意識下であるはずの私に投げられた意識下の存在からの情報である。この意図する所以ユエンは明かされなかったが、じきに分かるであろう、いつもそのようにメッセージがもたらされ、その時は意味不明でも後に完全な理解が及ぶ、その経験からの推測である。

私はこのような種明かし的な情報が来ることに大きな全体的な変化の兆しを激しく実感している。変化する方法のヒントも来たのでこの件に関する必要性のある人には的確に届く。



ティアラン