ペタしてね

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Chaneller: Lauren.C.Gorgo


希望を無くす:最後に手放すもの 


8月1日~活発な死期~のアップデートの際に

「中心に居続ける事ができたら、この”非常に”狭いドアを

完全に今に集中しながら、課題から完璧に解放された状態で、

通過する事ができ、たくさんのレベルで壮大なシフトを経験する

ことができます。」とお話ししたのを覚えていますか?


言うまでもないと思いますが、私たちは未だにこの狭い入口に

この身体をねじりこもうとしていて、その成功は・・・


”課題から完全に開放された状態”の部分にかかってきている

ようです。


正直、私たちのほとんどはそこを通過したくて仕方がなく、

どうにかしてそのドアを蹴倒すことしか考えられません。


私たちは自らを閉じ込めたこの奇妙な箱から脱出しようと、

非常にイライラさせられる状況を強いられています。


人間としてまったく新しい世界で、新しい見方ややり方を

信じそれに全てを託す事、まったく新しい道具にアクセスし

それを利用する事、を強いられています。 


ここ数週間、特にこの数日、希望が無く、絶望的な気持ちが

続いています。


私たちは必至に人生の新しいポータルにアクセスしようと、

ドアを爪でひっかき、こじ開けようと隙間を探しています。


私たちが経験しているこの抵抗に係わらず、ちゃんと

ドアはあるとの事で、そこを通過する方法もあるということです。


しかし、それは今までのように手で開ける事はできません、

それはハートでしか開ける事ができないのです。


この活発な死期を通過するには、思考的、感情的な抵抗を

手放す事が必要で、現在の不快な状態をも完全に完璧に

受け入れることで、はじめて向こう側に行く事ができます。


あたかもこのドアはそれが必要の無い方の為に存在する

かのようです。


実際このドアは”必要が無い“方々の為に存在します。


では、どうしても必要なものをどのように”必要無く”する

事ができるのでしょうか。


答えはいつも同じです、欲望を手放す・・・

今ある事を全て受け入れる・・・


向こう側へ行きたいという思いを失うというのではないですが、

それは洗練され、改装され、磨かれ、完全に人間的な執着から

解放されている必要があります。


深く掘り下げる 


アクチュリアンたちはこのように言っています、

”あなたたちが無空間の空間に導かれた時があって、

そこではより容易に手放す事ができたのだけど、

最後の瞬間に差し掛かった今、どうしても先に進みたい

という焦りの中であなたは前のような安定した状態を

保てなくなっています。” 


そうか、確かに・・・でもどうしても諦めきれない・・・

今まで以上に覚えておかなければならないのは、

この死にそうなほどの疲労とグラウンディングされてない

感じの中、私たちはまだここを通過するパワーを持っている

という事です。


この泥沼にはまっている状態だと見失いがちですが。


このフラストレーションにも実は神聖な意図が隠されていて、

この理不尽に思える勢力は新しい人生への機動力

のように働きます。


ですから、疲れてぼろぼろを通り越しているけど、

平穏への道はいつもあり、そこにいくには未曾有の

考え方のシフト、手放し、受け入れることが必要だ

ということです。


希望を無くす 


前回お伝えしたように、この手放しのプロセスは肉体的な

死に似ていて、全ての感情的な執着を手放すことで、

愛がけた違いに溢れる向こう側に行けると。


執着するのは私たちの自然な行動です。


しかし、全ての終わりと同様に、執着はいずれ弱まり、

”次は何?”という不確定さに直面します。


今私たちは人間的執着の最も深い部分の層に取り組んでおり、

それはどうしても諦められない部分と希望という長年の友を

含みます。


より高い見解からみれば、希望というのは姿を変えた執着に

すぎません。


それは、疑い、不確定という不快感、今への不満、今を

受け入れる事ができない状態を飴で甘く固めたようなものです。


完全な元の姿に戻ろうとしている私たちは何かにしがみつこう

という力を失いつつあり・・・希望が最後に残りました。


ですので、この旅がどうなるのかについて、希望を持てなく

なったりしてもびっくりしたり、混乱しなくても大丈夫です。


希望はそもそも重すぎてあちらには持っていけないからです。


希望とは本質的に、何かが足りない気持ち、不完全性の

結果で、完全性の高周波数の中では存在できません。


私たちが行く先では希望は、今を完全に受け入れ、

何も変わる必要が無い事を知っている事と平和に変わります。


これは手放す事の究極の形で、ここ通過するのに必要な

事です。


何かを希望したり、こうなって欲しいと願う事の反対を

しなくてはなりません。


この向こう側に行けるのかという不確定で不快な状態を

完全にハートで受け入れる必要があります。


全ての幻想、妄想、希望、夢、期待・・・等・・・私たちが

ここまで来るために燃料にしていたもの、目の前のニンジンに

していたもの。


このドアを通過するためにこれらは全て切り離さなければ

なりません。


このドアには同時に終わりと始まりが存在します。


もし疑いの気持ちが出てきてしまったら、希望ではなく、

信念を持つ人が新しい太陽と共に上昇するのだと

覚えておいてください。


私たちはハートに刻まれた神聖な設計図に描かれた

望みを達成する事ができないのではなく、狭くなり

通りにくくなり続ける通過点を通過するには必要と

思っていたものも手放し、より元の自分に近づかなくては

ならないのです。


本来の私たちは、必要なものは既に全て持っている

という感じを、全細胞で感じています。


今私たちは正式に人間として最も腐敗した、最も深い層の

部分に差し掛かっています。


私たちは完全に空っぽになりつつあり、神聖な光が

隅々まで行き届くような状態になっています。


この手放しの過程は混乱を伴い、私たちの間違いや

限界と直面するという不愉快な経験でもあります。


まだ何か手放すものが残っているのかと思った瞬間に、

手放す事に執着している事に気が付いたり・・・


一筋縄ではいきません。



肉体的症状 : 全てが痛い 



飛び込む 


私たちの宇宙的、地球的達成の成果は身体的に

現れつつあり、空っぽな人生の中に溢れだそうとしています。


もはやそんな事信じることはできないでしょうが、

”それも手放せ”とアクチュリアンは言っています。


最後の引きちぎれそうな糸の切れ端にまだしがみ

ついている方、おもいきって飛び込む時がきています。


もう何も失うものはありません。


当然です、あちらには何も持っていけませんから。


残るのは、内なる静かな安定した声、激しい抵抗や混乱の

中私たちを後押ししてきた声への信頼のみです。


この糸を手放したらどんなに楽かと考えるのは容易ですが、

実際やってみるとなると・・・最後の最後に残った希望、

唯一信じていたものから手を放すのは難しいものです。


どっちにしてもしなくてはならないのですが。


この過程は素敵でも、綺麗でも何でもありませんが、

どうにか、どうにか、このドアを通過するんだ!


鍵 


この広がりの過程は私たちを過去から切り離すという

事を伴い、それにより私たちは今の状態に飽きてきて、

新しいレベルに移行することを待つようになります。


私みたいにこの過程に完全に飽きてきて、アセンション

という言葉も聞きたくないくらいになっている方、もう1日も

待ちたくないと考えている方もいるでしょう。


それは一重に、私たちがこの世界でやるべき事をやり尽くし、

次の大地に移りつつあるからです。


新しい世界のガーデンでは新しい体験が待っており、

必要な栄養素がすべてそろっているその大地では、

私たちの新しい意図は簡単に根付きます。


8月中旬から9月にかけてこの広がりのあるエネルギーが

私たちを古い人生から押し出し、新しい枠組みにより

私たちは機能し始めます。


あなたが働きかけようがかけまいが、急に何かが終わったり、

それが急に何か新しいものに置きかえられたりする事が

あるでしょう。


全ては、なるようになります。


この数週間私たちは一時的に新しい世界にアクセスする

事ができると聞いています。


試しにちょっと向こうの世界に行ってみたり、行かなかったり。


でも、行く度に抵抗なく創造する能力を芯から理解できる

ようになり、完全にそうあるべきなんだと気付いたりします。


ですので、苦しみを感じる時は、苦しみは今の状態に

抵抗しているからだという事を思い出してください。


今私たちが通過しようとしているドアの鍵のロック解除の

暗号はこれしかありません。


抵抗を止める、受け入れる、受け入れる、手放す。


この不確定さを受け入れることができた時、

この不快感を歓迎できた時には 



カチャ、カチャ(解錠!)