こんばんは。

前者・後者といえば
最近はもっぱら

の記事を読み漁る日々。

おふたりで前者後者座談会を
されていたというのもあって、
共通の「一般ビトスーツ」
とゆうキーワードを
割と同時的に
むかえさん(後者)とにゃあさん(前者)
の視点から解説してくれているので
とってもおもしろい!

そして、
後者のむかえさんの記事には
すごく納得するし、
わかるわかる〜!!となるけど
にゃあさんの記事は
なかった視点すぎて
何回も読むあたり
わたしはやはり後者だなあと
自分への理解がすすむ感じで
楽しいですラブ

そして、前者・後者への
理解がすすむにつれて
確信がより強まるのが
「前者/後者だからどう」
ではなく
「前者後者は世界を
より楽しく、より自分らしく
生きるためのツールだ」ということ。
(あ、私にとっては、ですが)

あと前者後者は個人に絶対的に対応
するわけでもないというか、
前者でも後者っぽいところがある人もいるし
後者でも前者っぽいところがある人もいるし
前者に前者あるあるが全て当てはまるとか
そういうわけではなく。

もちろん基本的な脳の構造で
ザクッと2つには分かれるけど、
生きてきた環境や心の拗ね度とかによって、
個々人に前後者の濃度やベクトルはあって。

対自分用としては、
「わたしは後者だからこうゆうところがある」
「いつも一人で頑張ってしまうのは
後者だからかもしれない
だから今回は周りに頼ってみよう」とか
「もっと後者らしく生きたら
もっと心が解放されるのかなーわくわく」とか
「あれ?ここは前者に共感できるかも」とか
「旦那氏よりは前者ベクトルあり」とか
自分のことを理解したり、
未来のことをわくわくと考えるためのもの。
選択肢が増えたような気がしたり
世界が広がったような気がしたりする。

対他人に対しても、
前者か後者か
判断するということは
ほんとにどっちでもよくて。

たとえば何か軋轢が起きたときとか、
「あれ?後者なのかな?
だったらこう話したら
分かってくれるかな」とか
「この人は前者かな?
だからわたしのこういう所に
怒ってるのかな」とか

「もしかして」ベースで
いろいろな矢を放ってみる、
その矢の放ち方の選択肢を
教えてくれるのが
前者/後者に関するあるあるだなぁと思う。

それでその矢がまちがっていたら
「じゃあこんどは前者だとして
話し方を考えてみよう」とか
いろいろトライしてみようと思える。

「なんでなんだよ!」と
憤るだけ憤った後は(憤るんかい)
前者後者を思い出すと、
なんだか冷静に状況を見れるようになって、
穏やかになれるような
そんな気がします。


………って
これ前にも書いたよね。
書いたよね。
書いたよね…
しかも相変わらずまとまってない…

ヒロシです…
ヒロシです…