願い事がすべて叶ったら、子どもは何を学ぶのだろう | ことの葉だより

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親が子どもの要求をすべて呑んだらどうなるのだろう。

子どもは何を学ぶのだろう。


1.願い事をすべて叶えてくれる親はスーパーマンで尊敬する人。


2.何でもやってくれる親は自分にとって都合のいい人、召使い。




『百万人の福音』(いのちのことば社発行)2011年10月号の記事の中に次のような文を見つけた。


・・・もし、二つの信仰の側面に気づかずに主観的信仰にのみ立っているならば、祈っている通りの答えが得られないと、神ご自身への疑いが生じることになるでしょう。このような信仰は、祈りがこたえられたとしても神への信頼ではなく、神に対する要求が強くなるだけです。

        丸谷真也「どうすれば信仰が健全に成長することができるか?」


ここで言われている二つの信仰とは、客観的信仰と主観的信仰で、著者は次のように説明している。

  客観的信仰・・・「自分が現在、体験していることとはかかわりなく信じる信仰」

  主観的信仰・・・「自分が具体的に祈っていることに対して主がどう応答してくだ

           さるかという体験的な信仰」


「このような信仰は、祈りがこたえられたとしても神への信頼ではなく、神に対する要求が強くなるだけです。」


この言葉に納得した。

子どもの要求をすべて叶えてやっても子どもの信頼は得られない、

要求がさらに強くなるだけ、

そして、親は辛くなるだけ・・・


親が子どもの要求をかなえてあげようとするとき、

多くの場合は、子どもに良かれと思ってやっていると思う。

しかし、願いとは裏腹の方向に行ってしまうことも少なくないのではないだろうか。


成功哲学の祖、ナポレオン・ヒルは、

「何かを得たければ、まず自分の持っているものを差し出さなければならない」と言っている。

それは時間であったり、お金であったり、労力であったり・・・


何かを得るためには犠牲(努力)が必要なのだ。

何も差し出さずに自分の得たいものを得ていたら

それが当たり前になってしまったら、

感謝の気持ちは起こらず、不満は募るだろう。

100%自分が思う通りになることなんてないのだから。



私は、子どもに何を伝えたいのか。

子どもにどう育ってほしいのか。

そして、自分のやっていることはその願いにかなっているのか・・・

時々立ち止まって振り返ってみよう。

子どもが20歳になったとき、彼を社会に返すために。