✨救世主✨

例えばそれはナウシカのような、ターミネーターのサラ・コナーのような、ジョンとヨーコのようなカリスマスター、ジャンヌ・ダルクのような聖人、そういった人が世界を救うと信じていたのかもしれない。
そして自分にもそんな使命があるような薄ぼんやりとした意識がどこかにあった。
世界を救うのか、時代を救うのか、人々を救うのか、それは分からないが、何かを救出する必要があるようなそんな気持ちだった。

そして時は流れ、いつしか自分はナウシカでもジャンヌでもヨーコのような『そちら側の人』でもなく、ただの民衆の1人に過ぎないと思いこもうとした。
何の取り柄もなく無能な群衆に過ぎず、ただ生きていく事だけに精一杯の人生が繰り返されるだけ。
決してそれが悪いと言っているのではない。

その様な人生であっても喜びに満ち、幸せを感じる事は出来る。環境や状況が、必ずしも幸せを創り出しているのではないからだ。
仏陀が最期の涅槃で様々な誘惑のなかで悟りを開いたことに似ている。

どの様な状況下であっても、意識が自分に向いていれば、周りで起こっている事など、ただの絵空事、イリュージョンなのだ。
そこに意識を向けた瞬間、それは現実として存在し、自分の事として認識してしまう。
でも、それは違う。そう思い込んでいるだけなのだ。
マトリックスの様に。

更に時が流れ、自分の中の真実を知る。今この時だ!と言わんばかりに、私の中の何かが飽和状態になり、殻を打ち破る光線の様な煌めきが溢れ出した。
それはまさにこの世に姿を現した観音の様で、私の魂を救う救世主だった。

私が救いたかったもの、

それは自身の魂であり、真の私だ。
それはナウシカでもジャンヌでもなく、私自身が神となり光となり救い出すしかない。救世主は私自身であり、救うべきは私の魂だったのだ。

今私達の意識は、混沌とした波と新しい風の吹く時代の狭間にいる。その時、どこにフォーカスするのか、したいのか。それによりこの先は如何様にも変わってくる。

何者かに救いを求めるのではなく、自分の見たいもの、ありたい姿を強く意識するだけで望む世界を手にする事が出来る。
人を変える事は出来ないが、自分を変える事はいつだって出来るのだ。

私達は無力で無能な群衆ではない。皆、それぞれが自分を救い出す救世主なのだ。
それに気づき、自分だけのオリジナルなストーリーを紡ぎ出すことが、誰もに課せられた使命なのだ。

仏陀の言葉に以下の様な文言がある。


人は私はこういう人間だと自分で考えるその通りのものになる。

それと異なったものになることはない。


みんな、ナウシカでジャンヌなんだよ。

さあ、時は満ちた。輝かしい今にいざ行かん。

愛を込めて。