✨繋ぐ者✨

幼少期から青年期において、結婚や子供を持つということに全くリアリティを感じることがなかった。そもそも人と付き合うという事自体が想像出来なかった。
その時々で心を通わす友人がいたし、それで充分でもあった。素敵な恋人や伴侶に憧れはあったが、適当に付き合う事も出来ず何より人が、怖かった。
過剰なまでの自尊心と自衛心が入り混じっていた様に思う。
10代半ばには既に団体行動や人と群れることに違和感を感じていたが、そのくせ特定の友人とはいつも一緒にいる事を望んでいた。

人嫌いで人が好きと、相反する感情がいつもつきまとっていた。
しかし、元来奉仕や自己犠牲的な面が強いため、紆余曲折あり1人でいる事が楽であると結論付けた。
なのだが結果、結婚し子供も持った。

今この状況を見ても不思議で仕方がない。自分が結婚したり子供を産み育てるなんて全くの想定外だった。
どう贔屓目にみても私という人間は子供好きではないし、自分のペースを乱されるのを何より嫌う。
子供を養育するに相応しい資質はあまりないように思うからだ。
それでも結婚するまでは家族の問題に一心に取り組み、結婚してからは家庭の事に専念していた。
とにかく、自分の問題と家族の問題が常にあり、それらを解決すべく思考と時間を費やす日々だった。
ただ『役割』を全うする生真面目さから『長女』や『母親』としてこうでなくてはという責任感の元、半ば鞭を打ちながらも頑張っていた。

ある時、それらの全てが違う、私がやりたかったことはこんな事じゃない。と気がついた。
そこからが本当の私を生きる新たなスタートになった。
子供を育てたり、家族を持つということで私の本質が隠れていた訳だが、その全てに間違いはない。
自分の為に生きてはいないが、何かの為に生きることで、何とか生き長らえていたからだ。
ある意味それはグラウディングの様でもあり、この地上にがっつりと重石の様に私を縛り付けることが出来ていた。
生きるという現実から目を逸らすことが出来ぬ様に、私をここに繋ぐ。

今ここを生きる。
生き方としては、現在の私の心境とは真逆ではあったが、生きるとはとてつもなく強く儚いものだ。
そういう意味において、親や子供は今ここに私を繋ぐ重要な存在だった。
それは今だから分かるのだが、私にその様な関わりを持たせる事で、何とか生きようと努められたのだと思う。
皮肉なものだが、自分が求めていない形であらゆる課題を出してくるものなのだ。

私にとっては魅力的なことでなくとも、魂からしたら是非とも体験したいと感じる出来事もある。
それが子を持ち育てるという課題が、私と魂の双方にとって必要なことで合致していたのだろう。
私にとっては地上に繋ぎとめるために。
魂にとっては体験と回収のために。

でもそこは自分勝手な私。
盲目的に子を溺愛もしていないし、今は何よりも自分を第一に大切にしたいと思っている。
今までは家族の為に。これからは私自身の為に。
気分屋の娘でもわがままなお母さんでもいいじゃない。
私と最初から最期まで一緒にいてくれるのは、この私ただ1人だけなんだから。

愛を込めて。