✨食と評価✨

先日、何となしにテレビを観ていた時にふと思ったこと。
ある有名な一般的な洋菓子屋が、三つ星菓子職人や何かの金賞受賞したパティシエ等に、自社のスイーツの合否を出してもらうと言うコーナーがあった。
始めは、へえーどれも美味しそうだし馴染みあるスイーツで目にも美味しいと思って観ていたが、この菓子は不合格、と言われる度に肩を落とす挑戦者に(そんな図式に私には見えた)なんだかなぁ、と変な気持ちになった。
そしてその変な気持ちはなんだろうと考えた。
この場合、テレビに出る事での宣伝効果やその他のメリットみたいなものは加味しない。

もし、私が一般的な洋菓子屋ならおそらくその様な挑戦はしない。
まあ、ただのテレビ番組でこの構図そのものはよくあるパターンだから、どうでもいいちゃあーどうでもいいのだが、三つ星の店や賞を受賞したパティシエと一般的な洋菓子店とでは洋菓子というジャンルこそ同義だが、そもそものベクトルが違うように思う。
どちらが上とか下とかではなく、それぞれの良さがあるだろうと言う事だ。
そして自分が自信を持って提供している品に対して、第三者に評価してもらう意味はないよなと思った。もし、評価が必要なら、それはその品を購入してくれたお客にして貰えばいいだけだ。
そこでイイネしてくれた人は、また足繁く買いに訪れてくれるはずで、それこそが本物の評価、イイネなのではないだろうか。

食に対する評価は私はあまり意味がないと思っている。
もちろん、熟練の技と食物に対する愛でもって美味しい料理を提供する素晴らしい料理人もいる。
しかし、食事はその時のシュチュエーションや感情、相手により如何様にも変わってくる。
たった一杯の卵かけご飯でも信じられない程美味しく感じることだってあるよね。

昔、近所のレストランで初めて食べてウッマ!となったパリブレストが食べたいです。
もうそのお店はないから、思い出補正もかかって私ランキングでは上位に位置してる。
美味しさとは様々な基準があって然るべき。
美食家とか食通とか、それってあなたの感想ですよね⁉︎じゃないかな。
これはあくまで私個人の見解です。それらの人を軽視している訳ではありません。

趣味嗜好は一辺倒の基準では計りきれないという意味です。

その番組で下された評価に一喜一憂して社運をかけて挑んでます。みたいなムードがとても不健全に私には映ったのだ。
だって、自分達で納得して作り上げた作品を美味しいと言って買ってくれている人がいるなら、それでいいじゃないか。
嗜好なんて好き好きなんだから。


こんな番組一つとっても世の中にはジャッジが溢れてるなぁと、アイロニーたっぷりな視点からしか観られない私、クッソウザいよね。
でも、こんな自分が大好きです。

愛を込めて。