✨陰陽✨

小さな頃からオカルトや世にも不思議な話が好きだった。今で言うなら陰謀論もその類だろう。
心霊ものからUMAまで世界の未解決な現象やら、精神世界の心理学的なものまでそれらは幅広く存在する。
そして見方を変えれば、いずれも決してあり得ないミステリーではないとも言える。
私達の知らない所で不可解なことは常に起こっているのかもしれない。

人生にさほど意味はない。ただ在るだけだと思っているが、私は自分の人生に起きた事、知らず知らずに選別した方の理を、自分なりの解釈を見つけ出したり考察する事が好きなようだ。
それはある意味、時間潰しにやっているジグソーパズルのように。
そうやって自分のストーリーを組み立てるのが好きなのだ。

スピリチュアルの分野も多岐に渡るが、そのどれもが割とポジティブな発信だと思う。
前向きな思考は私には少し欠如していたので、学びも多い。精神の安定や充足感を得る事は大切な要素だ。そういった毒のないポジティブを体験した事は新鮮でもあり、また自分の一部でも在ると感じた。
ただいつも何か別のものに強く惹かれる私は、そこのみにとどまり続けるのは難しい。

おそらく今世界は、混沌の中にいて先の見えない不安を抱えている。不安を煽る情報や洗脳とも言える操作された常識に溢れている。
そんな中、宇宙由来の魂やライトワーカー、スターシード達は、光を放ちポジティブな意識を拡散していくのだろう。少しでもその灯しが連なる事で変化が起きてくるように。

私は光の側面だけを見ている事に少しばかりの疑問を持った。
確かに神聖で前向きな思考は、ある高みにまで心を持ち上げてくれるだろう。
しかし、人の純粋なまでの残酷さや卑劣さを私は知っている。
そこに共感や感動はないが、何か一つずれてしまう事で抗えない非情さがあるのも確かだ。
ちょっとした悪意や殺意も、形や大きさは違えど瞬間的に湧き出ることはあるだろう。
ネガティブな意識を無きものにしたとて、それは全く意味のない事で、寧ろ目を逸らせば逸らすほどに黒く鈍く意固地なまでに存在する。光の陰に隠れて。

私が唱えてることは、ネガティブな意識に波長を合わせるという意味ではない。またそれを推奨している訳でもない。
ただ私は両方を認識し、在るものとして捉えたいのだ。

自分の人生を振り返る時、私は生かされていたと強く思う。
色々な真実を知っていくうちに、かつて夢みていた事や進みたかった道に行けなかった事の意味を知る。
ある種独特な茨の道ではあったけれど、実はその茨こそが私を守る為のものであったのだと感じるからだ。
毒をもって毒を制す。のように、闇から見つけ出されぬように、自身の闇を盾にして灯しを守っていたのだ。
私の内なる光りを消さぬよう、絶つことのなき様にひっそりと隠していたのだ。

菩薩の様に慈愛に満ちた精神も、極悪非道で冷徹な精神も、この世界の中には確かに存在している。
私達が善だと信じていたものが、実は逆だったとしてもおかしくはないだろう。
では、その時自分はどう在りたいのか。どの様な気持ちを持ち続けたいのか。
より強くたゆまない光を放ちたいのなら、柔軟な心と認める気持ちさえあれば良いのだ。
何も怖れず、目の前の現象に踊らされることなく、ただそれらを受け入れ、ある時は受け流しながら、今の自分を安心させてやるだけでいい。
私が私を見捨てない限り、私は何も失うことはないのだから。

愛を込めて。