自分や子供の事を否定されると
ほとんどの人は傷つきます。
傷つく理由は
「人から否定されたから」
では、なく
自分が否定しているからです。
簡単に言うと
細い人が「デブ」と言われても
自分で太いと思っていないので
傷つきません。
太くても、気にしていない人は
傷つきません。
私の例で言うと
学生時代からの友人に
私が写っている画像をラインで送ったら
「老けたな。太ったな。」
など、いろいろと言われましたが
「そうそう。
おばちゃん、最高。めっちゃ楽。
美醜の比較のステージから降りたら
怖いものなくなった」
と、笑いながら返しました。
「おばちゃん」を気に入っているので
友人の言葉に、反応するものを
私が持っていなかったから
傷つきませんでした。
(むしろ、「良く気づいてくれた。」位の
待ってましたという気持ち)
自分の中に
コンプレックスや
○○じゃなければ、とんでもない事になる
という思い込みがなければ、
他者からの言葉に
反応する事はありません。
具体的なエピソードを書きます。
友人の子供は
自閉症スペクトラムの診断を
受けていて、
遊びの中で興奮すると
言葉が乱暴になる事があります。
子供の間では、それは
もう慣れていて
皆、なんとも思っていなくて
楽しく遊んでいるのに
その場面を見た、
普段のその子を知らない大人が
「乱暴な言葉を使う子ね。
この子のお母さん誰?
もっと優しい言葉づかいを
覚えささないと」
と言い、それを聞いたお母さんは
落ち込んだそうです。
お母さんは、普段から
子供に、集団生活が
円滑に行えるように
療育にも通わせている
熱心なお母さんなので
余計に教育の否定は
ショックだったと思います。
人前で、恥をかかされたとか
その子の普段を知らない大人に
子供を否定されたという
悔しさもあったでしょう。
そのお母さんは、
「優しい言葉づかいが
出来なければ、集団生活は
円滑に行えない。」
「優しくないといけない。」
という思い込みを持っています。
「優しくないといけない」
本当でしょうか?
優しい言葉づかいが出来なくても
その子は、沢山のお友達がいて
楽しく遊べています。
私も、その子の事が大好きで
その子の過集中による天才性は
絶対に守らないといけない
宝の個性だと思っているので
落ち込んでいるお母さんに
「全力で、遊んだ結果言葉が
乱暴になって、何が悪い」
「古い考えの人の言葉に
落ち込む必要なんて全くない」
「昔は、村社会だったから
集団生活の中で
協調性は必要だったけど
今は、昔ほど重要じゃないって
メンタリストダイゴも言うてたで!」
「天才なんだから、
会社で雇われるよりも
自分で稼ぐようになる。
将来、自分の才能を発揮して
輝く姿しか私は見えないよ」
と、励ましましたが
「子供にこうあって欲しい。
そうじゃないと、生きていけない」
という恐れがなかなか
手放せないようなので
少しづつ、思い込みを手放せるよう
話をしていこうと思っています。
ブッダの
「反応しない」の教えについて書かれた
「反応しない技術」という本がありますが
あれは、自分が持っている
恐れがなくならない限り
反応しないと決めていても
反射と同じなので、してしまうと思います。
傷ついた!と
感じた時に、立ち止まって
自分はどうして傷ついたのか
どういう思い込み(信念、決めつけ、確信していること、ビリーフ)
を持っているのか、考えて
本当に、大人になった自分に
必要な思い込みなのか?
正しいのか?
と問うてみてください。
上記のお子さんのお父さんは
個人事業主で、自由な時間に仕事をしています。
その子は、社会的なモデルが
お父さんなので、
「大人になって会社に勤める」
よりも
「大人になったら、時間に縛られない
働き方」
を選択する確率の方が高いです。
あと10年以上後だと、ほとんどの人は
自分の好きな事をしている隙間に
仕事をしているか、
自分の好きな事が仕事という
働き方が主流になると思いますので
お母さんの「優しさ(協調性)がなければ
生きていけない」という恐れは
手放して良いと思います。
子供は、完璧です。
規格の箱におさめようとすると
個性がつぶれます。
さかなクンのお母さんの教育方法が
素晴らしいので、シェアさせてください。
(朝日新聞から抜粋)
『小学校では、授業中も休み時間も魚の絵を描いていた。
授業についていけず、家庭訪問で担任に言われた。
「絵は素晴らしいけれど、勉強もしてください」
母は「あの子は魚と絵が好きだからそれでいいんです」
将来本人が困ると言われても、
「成績が優秀な子もそうでない子もいていい。
みんな一緒ならロボットになっちゃいます」
「絵の先生に習っては」との提案には
「好きなように描いてほしいのです」と答えた。
母の口癖は
「命がとられるわけじゃないんだから」。
失敗しても大丈夫だと安心できた。』
子供も、大人も
それでいい
それがいい
そのままでいい