先日の記事では
映画マトリックスに出てくる
「すべてはすでに決まっている」という世界観の中
定められた運命を受け入れることで、
逆説的に自分の能力を最大限に引き出せた、
という話がありました。
そこには「制約の中の自由」というテーマも。
そして今朝のマインドフルネスのクラスで
これに繋がるお話が出てきてビックリ![]()
生け花や茶道って、細かいルールや
決まった作法が沢山あって
最初はとても不自由で窮屈だったけど
それが体に自然と染みついてくると
迷いや考えることが減り
ただ決まったことを行うだけになっていく。
すると逆に、心に余裕が生まれ
自由を感じられるようになる、
というお話でした。
マインドフルネスも同じ。
「呼吸に意識を向け、逸れたら戻す」
このシンプルな「型」が、
「今ここ」にとどまらせてくれる。
一見、不自由に思える「型」の中に
ゆとりが生まれたり
自由な感覚が生まれる。
これって自分を明け渡すこと、
「命が私を通して生きている」
という感覚にとても似ていると思ったんです。
「型が私を通して現れている」ような感覚?
何かをやるときって、
「もっとうまくやろう」とか
「もっと自分らしく表現しよう」とか、
「私」が主体になっている。
でも「型」というものがあると
徹底的に練習し、型を極めていくと
「どうすればいいか」という迷いや
「自分を表現しよう」という意識そのものが
薄れていくんじゃないかと思うんです。
動作が体に染みつき
「型」と自分が一体となることで
「私がやっている」という感覚が薄れて
没頭していくことで
「型が自分を通して現れている」
そんな状態になっているんじゃないかと。
よく「ゾーンに入る」とか言われるような
「私」という枠が消えて
目の前のことと一つになったような状態。
そう考えると、型というのは
自分を脱ぎ捨てるツールなのかも。
私たちは自分で選択すること、
それも選択肢が多いことを
「自由」と思ってしまうけど。
本当にそうなのかな?と最近よく思う。
映画を見ようと思ってNetflixをみていると
選択肢がありすぎて、
疲れてしまうことってないですか?
(私は毎回です…笑)
何を食べる?どれを買う?
誰と過ごす?どのSNSを使う?
選択肢が無数にあると
自由は増えたようでも、すごく迷いが出るし
考えてると疲れてきて、
結局なにも選べなかったり
選んだことに後悔したりする…
でも決められた「型」って、
私たちが意識を向けるべき範囲を限定してくれる。
限定されているからこそ、余計な迷いとか
不安や後悔することを防いでくれて
「今ここ」に集中できるのかもしれない。
限られた動作を“どう磨くか・深めるか”。
決められた枠組みの中で、
いかに洗練された動作を行うか、という
「質的」な選択になってくるのだと思います。
無数の選択肢の中から
「次に何を選ぼうか」ではなく、
「今ここでどうあろうか」という
在り方の選択。
茶道では厳格な「型」があって、
その「型」の中で、
お湯の注ぎ方や茶碗の置き方に
その人の心遣いや美意識が宿る。
型があるからこそ、
深み、奥行が生まれて
型が思考をそぎ落とし
心を自由にしてくれるからこそ、
瞬間をありのままに味わえる。
「私」という殻を破り、
型に没頭することで
より大きな存在や
普遍的なものとつながり
自分自身の能力を最大限に引き出す。
(マトリックスのネオのように!)
「型にはめる」って苦手な言葉だったけど
実は「型」って私たちを枠にはめるのではなく
むしろ本質的な部分に目を向けさせて
本当の自由を体験させてくれるものなのかも。
私たちは、選択肢の多さではなく
”在り方の深さ”によって、
本当の自由を感じられるのかもしれない。
