この1か月、
体を観察するマインドフルネスで
「私」という枠が外れた世界を体験しました。
”体が私を通して生きている”という感覚や
私は本当は何もコントロールしていない。
ただこの人生を体験(目撃)しているだけ。
私は体でも心でもない
ただ見つめる意識そのものなんだ。
そんな世界を垣間見ました。
前に読んだノンデュアリティの本に
「この世界はすべてがすでに決まっている。
毎瞬なにをするかも全部決まっている。
私たちはただそれを目撃しているだけ。」
って書いてあって、
意味がよく理解できずにいたけど
今なんとなく全てが繋がった気がします。
ホログラフィック理論の
「3次元の世界は、2次元の情報から投影された
ホログラムのようなものかもしれない」
というのにも似ている気がしました。
「私は選択している」と思っていても、
実は目の前のホログラムが展開されていくのを
私たちはただ“体験しているだけ”で
世界は本当は実体ではなく
意識の投影にすぎない。
そしてここに来て
映画マトリックスで
ネオとオラクル(予言者)が交わした
こんな会話を思い出しました。
オラクル: お菓子、どう?
ネオ: (手に取ろうとしながら)僕が食べるかどうか、もう分かってるんですよね?
オラクル: 分かってなかったら、予言者なんて名乗れないわ。
ネオ: でも、もし全部もう決まってるなら、どうやって僕が選ぶっていうんですか?
オラクル: あなたはね、何かを選びに来たわけじゃないのよ。選択はもう済んでいるから。あなたは、なぜその選択をしたのか、それを理解するためにここへ来たの。
ネオがキャンディを取るかどうかは、
オラクルには分かっている
(すべては最初から全部決まっているから)
でも、ネオ自身はその選択を
“今この瞬間”に体験する必要があるんですね。
選択すること自体に意味があるのではなく
選択を通して自分自身
(ネオの場合は自分が救世主だということ)を
理解していくことに意味があると。
ネオが行動(選択)することで
“なにものかになる”ことを学ぶプロセス。
全ては予め決まっているんだけど
その過程で自分がどう理解し、
どう成長していくか。
「私」が主体となって
なにかを「する・しない」を超えて、
ただ“起きていること”を
自分がどう経験するか。
今回の瞑想で体験したことを発端に
今まで理解できなかったことが
繋がっているように見えてきました。
全てはすでに決まっているということは
時間も「過去→現在→未来」ではなく、
実は未来も既に存在していて
私たちが「今」と感じている瞬間は
既に完成している1冊の本の中の
1ページを読んでいる
みたいな感じなのかな。
私たちは日々の生活で
「今日のランチは何にしよう」
「この仕事を引き受けようか」とか
「私」という独立した存在がいて、
自分で決めているように感じているけど
未来はすでに起きていて(決まっていて)
私たちは“今”という瞬間の中で、
その出来事を新鮮に体験しているだけ。
「私」が人生を切り開いているのではなく
人生が私を通して展開している。
私はただそれを体験しているだけ。
この「体験」を通して
「自分とは何か」を理解していく。
ネオは映画の中で何度も
自分は本当に救世主なのか?と疑い
受け入れられずにいたけど
最後には運命を受け入れていきます。
「え、僕こんなんでいいのかな。
でも僕が救世主って決まってるんだよね?
もしそうなら、そうなるんでしょうね。
うむ…だったらやってろうじゃない!」って
「もう決まっている」という事実を、
彼が自分の内側で納得して
自覚的に受け入れた瞬間
その運命に沿った力が
自然と発揮されて
彼の運命が持つ
本来のポテンシャルを
最大限に引き出せた。
でも本当の視点(意識そのもの)からすると、
成長も変化も実は起きていなくて
「すでに決まっている流れ」を
ただ体験しているだけという。
考えれば考えるほど
不思議なパラドックスです。
頭で理解しようとすればするほど、
矛盾しているように見えて混乱しますね![]()
久々にMatrixが見たくなったので
今夜さっそく見てみることにします。
"we can never see past the choices we don't understand"
私たちは、理解していない選択の先を見ることは決してできない。
未来はすでにある。
その意味を理解するのは“今ここでの体験”を通してだけ

