今日も朝から
体を観察する瞑想で
「私」が主体ではなく
「からだ」が主体の世界に没入しました。
この体は「私のもの」ではない。
ただ肉体が
私を通して生きている。
私たちは体もモノも
世界の何をも所有していないし
コントロールもできないんだ。
「私のもの」という視点を
手放して過ごすと
心がとても自由で
楽になると気付きました。
例えば新幹線でお気に入りの座席を
「いつもの私の席
」と勝手に思っていると
誰かがそこに座っていたら
「あ~取られちゃった」と
残念な気持ちが湧いてくる。
「私のもの」って思わなければ
そんな気持ちにならずに過ごせる。
「私の」ペンが
誰かに踏まれた時と、
道端に落ちてる
ただのペンが踏まれた時とでは
気持ちに違いがありますね。
「私が」作った食事を
誰かが残したら
少し寂しい気持ちになったりして。
「私」が主体の世界って
苦しみの種が生まれやすい。
日常の小さなことから
国や世界レベルの大きなことまで
争いや苦しみって
「私のもの」っていう執着が
根っこにある。
子供の「これは私のおもちゃ!」から始まって
仕事で「これは私のアイデアだ」って
手柄の取り合いや嫉妬が生まれたり、
家庭内で「私のやり方」「私の時間」を
主張しあって衝突したり
国レベルの
「これはうちの領土、うちの資源!」が
戦争を招いてしまう。
「私のもの」という枠を外せば
世界はもっと平和で
ひとつになるんじゃないかって思う。
縄文人ってそんな感じで
「私の」っていう概念が
薄かったんじゃないかな。
自然からの恵みは
誰のものでもなくて
みんなのもの。
そうやってシェアして生きていた。
「私の」を手放して
ありのままに世界を見る
やわらかな視点を
これからも育てていきたい。
この空も、雲も、虹も
誰のものでもない。
ただそこにある、今この瞬間にしかない景色。
