心と体のあいだだけでなく
なにかにつけて自分を
「あいだ」の存在と
考えてみてはどうだろうか?
やさしいとつめたいのあいだ。
かしこいとおろかのあいだ。
勇気と臆病のあいだ。
誠実と卑怯のあいだ。
〇〇と〇〇のあいだ。
決してどちらか一方なわけでなく、
そのグラデーションを
行き来しているのだ。
「自分はこういう人間だ」と
固定的に考えるより、
「あいだ」の存在と考える方が
自分疲れも
ましになるのではないかと思う。
自分のことを
「あいだ」の存在と考える
ということは、
他人のことも
そう考えるということだ。
「あいつはこういう人間だ」と
固定的に考えるのではなく、
昨日のあいつは
コーヒーが濃い目の
カフェオレだったけど、
今日はどういう濃度か
わからないと、
曖昧にとらえてみる。
曖昧さが
つらく感じられるかもしれないが、
意外に人間関係が
少し楽になるかもしれない。
ストレッチや
ヨガをやってみて
驚いたのは
多くのポーズが
自分がこれまで1度も
やったことのない姿勢や
体の動かし方を
必要とすることだ。
逆に言うと、
体のつくりとしては
可能なのに
これまでの人生で
1度もそういう動きを
してなかったのだ。
そのことに衝撃を受けた。
自分って、
自分の可能性を
すべて使って生きているわけでは
ないんだなと。
体はもっと
いろんな動きができるはずだし、
心だってそうだろう。
もっといろんな心の
ありようがあるはずだ。
つまり、私たちは
じつはかなり
決まり切った範囲でしか
心と体を動かしていない。
心と体には、
そしてその「あいだ」には
まだまだ未知の領域が
あるはずだ。
その未知の領域に、
ぜひ踏み込んでみてほしい。
体と心をフルに使ってみてほしい。
「あいだ」に
目を向けてみてほしい。
決まりきった動きしか
していないと、
体がこって疲れるように
ストレッチやヨガで
疲れがほぐれるように、
決まりきった自分でいるよりも
「あいだ」を漂っているほうが
自分疲れもとれると思うのだ。
ー頭木 弘樹
「自分疲れ: ココロとカラダのあいだ」より
最近読んだ本の中で
ダントツに面白かったこの本。
心と体、
どちらが本当の自分?
というような問いかけや
体と心がいかに影響し合っているか、
など興味深いお話が沢山で
一気読みしてしまい、
しばらくすると
また読みたくなるような本でした。
ここで紹介したのは
本の1番最後に出てくる一節で
私の大好きなグラデーションを
見せてくれる言葉。
「固定されたもの」は
この世になにひとつない。
固定された私、もいない。
固定されたあなたも、いない。
私たちは
いつも揺れ動き
常に変化している
「あいだ」の存在ということを
思い出させてくれました。
そして
心や体の動きを
分かったつもりで
分かってない領域が
まだまだ沢山あることに気付き
未知の領域にも
踏み込んでいこう、
という言葉に
マインドフルネスに
通じるものを感じました。
マインドフルネスも
自分の心や体の
未知の領域(普段意識しない部分)に
スポットを当てて
気付いていく、
という瞑想。
自分の内側に
光を当てていくことが
「本当の自分ってどこにあるの?」
という問いの答えに
近づいて行けるのだと思います。
この本は
「あいだで考える」という
シリーズの中の1つで
他にも
「根っからの悪人っているの?」や
「能力で人を分けなくなる日」など
日頃から疑問に思っていたことの
答えを探るような本が出ていて
ここ最近読み漁っています。
