「自分軸」について考えていた時に

少し混乱したことがありました。

 

初めて「自分軸」という言葉に出会った時、

「自分軸で生きよう!」

という方向へシフトして行きましたが

自分軸を確立した先へ進むにつれて

今度は「自分なんて本当はいない」

という方向に意識が向いて、

「え?じゃあ最初から自分がない状態で良かったの?

自分軸いらなかった?」と混乱したんです。

 

でもそうじゃなくて、

一旦そこを通らなければ

見えてこない道なんですよね、きっと。

 

子供の頃って

自分と世界との隔たりがないから

自分軸っていう概念もない状態に近いのかな。

世界との繋がりの中で生きている感覚。

 

そこから少しずつ大人になる過程で

誰かに褒められたり

けなされたりすることで

人と自分を比べたり、

メディアの影響も沢山受けて

自己価値がとても低くなる時期がやってくる。

自分を偽ったり、

本当の自分の声を消すことで

社会や周りと馴染もうとしたり。

 

そんな中で生きづらさを感じて

色々と模索する中で出会うのが

「自分軸」という概念。

自分の奥底にある本当の声を聞いて

自分ってそもそも誰なんだっけ?ということを

思い出す作業をしていく。

 

そして、しっかり自分軸ができて

本当の自分と繋がる時間が長くなるにつれて

今度は”自分以外のもの”との繋がりを

強く感じるようになってくる。

 

そうすると不思議なことに

今度は「自分」という意識が薄れて

「わたし」ではなく「私たち」という

全体としての自分に目覚めるようになる。

 

実は「わたし」なんて、本当はどこにもいない。

全部と繋がって初めて「わたし」がいる、

という視点が生まれる。

(「自分軸」じゃなくて「私たち軸」?)

 

この段階に来た時、

すごく混乱したんです。

じゃあ自分軸に出会う1つ前のフェーズ、

「自分がない」という状態のままで

良かったんじゃない?って。

せっかく自分軸が確立したのに

それをまた手放すことになるのなら。

 

でもきっと、

1度自分の奥深くに潜って

そこに何があるかに気付いて

自分を自分で癒す作業をして、

「自分軸」を1度通らなくては

自分(エゴ)を超えたところにある

「私たち軸」には

たどりつけないんだと思います。

 

なんだか不思議なプロセスですよね。

元々あったものを

途中で放棄して隠して、

また隠した場所まで潜って

自分を思い出して、

そしてまた自分を手放して。

手放すことで、

また大元の自分(ボーダーレスな自分)に

戻っていく感じ。

 

色々と寄り道しながらも

結局最後にはちゃんと

家路にたどり着くのかもしれませんね。