新検見川駅からすぐ近く(徒歩10分程)の閑静な住宅街の外れに
広い空き地があり、その中にひっそりとたたずむ廃墟──。
この廃墟こそ、太平洋戦争開戦の暗号、
「ニイタカヤマノボレ」を送信した有名な通信所なのです。
それが今回の目的地「検見川送信所」です。
1926年に対外国通信を目的として電電公社が設立した、
日本で初めて短波による標準電波を送信した施設です。
あの有名な東京中央郵便局や大阪中央郵便局を手がけた
モダニズム建築の先駆者・吉田鉄郎氏が設計した
大正末期の貴重なコンクリート建築で、とても美しい形をしています。
角を丸めた意匠。窓の比率などが美しく感じる理由でしょうか?
現在は道路の付け替え工事をやっていて、
その重機が送信所の敷地内に停められております。
エントランス、階段、庇の形状など、とても凝っていますね。
1979年に役目を終えて、以降廃墟化していましたが、
2008年8月から「検見川送信所を知る会」などによる保護活動が始まり、
2009年に検見川送信所を視察した熊谷俊人市長は
「保存・利活用に資する価値ある文化遺産」という見解を示し、
事実上の保存宣言となりました。
給水塔も角が丸められ、とても美しいですね。
2010年には調査で安全が確認されたそうですので、
いつかは中も見れるんじゃないかなと期待して待ちましょう。
皆さんに全ての良き事が雪崩のごとく起きます。