さて、鉄造仏頭を覗き見した後は本日のメインイベント長福寺に向かいます。
長福寺は、いすみ市の内陸部にある、3つの文化財、天然記念物を保有するお寺です。
ここはナビの案内が終わった後でも看板がありません。
道路から200mくらい離れたところに墓地が見えるので、山勘でそこに向かいます。
長福寺です。
仁王門ですが、門の意味を成してない状態ですね(苦笑)
仁王門をくぐった脇にある天然記念物「筆掛の槇」。
ここに残る頼朝伝説を紹介します。
治承四年(1180)反平家の兵を挙げた源頼朝は、相模の石橋山の戦いに敗れ真鶴岬から小舟で逃れ、安房国平北(へいほく)郡猟島(かがりしま)現:鋸南町竜島に上陸して再挙を図ったという史実はよく知られています。石橋山の戦いの後房総に逃れた源頼朝が平家追討の書状をしたためたのがこのお寺です。その時差し出した硯が素晴らしかったので「硯山」の山号が与えられたそうです。その折、馬の嘶きに驚いて、筆をこの槇におかれたことから通称「筆掛の槇」とも呼ばれているのだそうです。
どうよ。すごいっしょ。
説明看板。木の説明で伝説はあんまり書いてないですね。
そして本堂。
この本堂には2つの文化財があります。
一つは目的の波の伊八の欄間彫刻。
もうひとつは薬師如来坐像なのだそうですが、パンフレットの写真と本堂にあった像が違うので、たぶん本尊は普段開帳していないのでしょうね。本堂には誰もおられなかったので庫裏に声をかけ、見学させていただくことに。拝観料300円とのことですが、500円玉しかなかったので200円はお布施ということにさせてもらいました。ご住職はかなり裁けた方で、本堂にも上がって自由に見てください。写真もいいですよとのこと。貴重な文化財を身近に見させていただける貴重な場所です。
それでは波の伊八の欄間彫刻のご紹介です。
\左の欄間ど~ん/
\続いて真ん中の欄間ど~ん/
\そして右の欄間ど~ん/
左右の麒麟に中央の龍。それぞれに波の装飾がありますが、欄間の様式を超越した自由闊達な表現がすごいです。1789年の作といいますから伊八38歳の頃の作品ですね。飯縄寺より荒々しい感じがします。
そして実はこの寺にはもう一つ伊八の彫刻があります。
\須彌壇ど~ん/
本尊を祭ってある須彌壇に施された彫刻です。この作品になると、伊八独特の「波頭」が現れて来ます。
さて本堂の横には真新しい祠があります。この祠の中には寺宝の長さ130cmの巨大な端渓硯があります。頼朝がこの硯で墨を磨ったのかは定かではありませんが、「硯山」の山号を与えたそうですから、この端渓だったのかもしれませんね。
ちなみにこの端渓硯の展示にはちょっとしたギミックがあって、ボタンを押すと水が噴出され硯を濡らします。端渓は水を好む石で、ぬれると赤紫色に変化します。その様子が見られるわけです。
貴重な文化財、天然記念物を拝見し、満足して寺を後にしました。
ふと振り返ると本堂の屋根に狛犬が逆立ちしてこちらを見下ろしていました(これも珍しい!)。
ここは飯縄寺のような境内に足を踏み入れた瞬間に魅せられるというようなお寺ではないですが、とても良いスポットです。公共交通機関ではちょっと来れない場所ですが、車やバイクをお持ちの方は是非尋ねていただきたいと思います。
日も傾いてきたのでまっすぐ家に向かいました。日が暮れる前に家に着いたので、冬用の装備は必要なかったですが、急に気温が下がるのを体感しました。完全に日が暮れたら寒いかも。。。
走行距離140.8km 燃費はその前に街乗り100kmしているので28.4km/L
最後まで読んでくださったあなたに、全ての良き事が雪崩のごとく起きます。