体の中に 大蛇があばれまわっていた。
腫れもの以外のなにものでもなかった。
母親をやめたい、子供をどっかにやりたい、
辛いときにこそ、子供は 私のいやがることを、なんどとなく 繰り返す。
たいしたことじゃない
宿題をする、走りまわらないで、落ち着く、おもちゃを広げない、
かた付ける、赤ん坊をおこさないように、静かにパジャマにきがえる。
ことごとく、反抗する。
私をこまらせてのことではない。
でも、私にとっては、相当なチャレンジだ。
もう、ちょっと声をはられただけで、わたしの沸点に到達する。
私も声をあらげ、だれ一人として、いい顔するもんはいない。
旦那の落胆するオーラもつたわってくる。
グランマのところへいったほうが、君たちは幸せだ、私はあなたらの母をする自信もないし、やめたい。
パパに新しいおかあさんを探してもらえ。
旦那にも、実家にかえって、義母に世話してもらえ、マザコンの君はそれの方が幸せなんじゃないか?子供達も幸せなんじゃないか?
君ももうちょっとまともな奥さんをさがせ。
っていう感じでした。
なにをいわれても、つっかかってしまう。
カッカカッカして、もう 何もかもつらすぎた。
そして、学校に送りにいくのも拒否
おまえら自分達でいけ
賞味子供の足で30分くらい
泣き出す長男
だまってきいてる、長女
ままはいきたくないので、買い物にいってくる bye!
さすがの長女も ヤバイと思ったようで
泣き始め、謝りはじめた。
その日 子供の学校人生初の無駄な遅刻をする。
朝の準備に、赤ん坊と遊び、やるべきことをしろといっても、やらんと、こうなるぞ、と
もうガミガミいいたくはない。
子供達の健やかな成長を祈っています。
そういってもらったのに
健やかな瞬間をあたえていない自分をかえたい。
そんな大蛇があばれている自分をみて、
19年前になくなった父を思いだした。
今いきていたら、78歳
もう じいさんやんけ。
生きてた頃、若かった頃は 嫌いだった親父。
年を重ねていくと 根元は親父と一緒やん、と気がつく 昨今。
今あったら、もうちょっとわかってあげられるんだよなって。どんな話が出来ただろうかと思ったりする。
孫も喜んで可愛がったかな、とか。
親父も自分と向き合って、たたかっていたんだろうなと、あの頃は バカじゃねーの?って思ってたけど、
今は 父の闘争も 少しわかるかもしれないと思った。
変える事は容易ではない。
思った人生を歩みたい。
かえないと、かわらない。
受け入れる事、感謝する事
出来る時もあるけど、拒絶する時もある。
挑戦だ。