ここ最近ご無沙汰気味のブログ
あっという間に年の瀬
今年は日本に行きたかったのだけれど、結局マイルも足りず
パパさんの実家、ユタ州に来ています。
恒例の尋常じゃない量のクリスマスギフト。
ありがたいとともに、お父さんとお母さんに若干心を痛めたりして。
お正月もここで過ごす予定だし、実際おせちで食べられるものもあまりないので
今回は作らないかなぁ~
お雑煮くらい、戻ってから作るかも?
本当今年はいろいろあったなぁなんて
今一人 物思いにふけってみたりしています。
自分の体の改善のために、本格的に食べ物を制限して、もうどうにもこうにもいかず
何を食べたらいいのだ みたいな世界にいたり、
自分の体や心のコントロールもままならなかったり
本当に子供にはかわいそうな想いをさせてしまったなあと思うこともあったし、
親としての自分の不甲斐なさに、悲しみやら、怒りやら、憎悪まで出てきて自分を責めたり、
子供の幼稚園への挑戦もたくさんありました。
二人の子供を育てることの大変さ、その重みを深く感じたりもしました。
子供を授かりたいのにもかかわらず、叶わない現実に向き合ったり、悲しい想いをしてる友を見るたび、私は自分を責めたりもしました。
今でもそのことをかんがえると、苦しくて涙が止まらなくなり、
胸が張り裂けそうな想いで、何故なんだと、怒りにも似た、何とも表現のし難い感情が湧き上がってきます。
子供を授かることは、当然なことではない。
頭ではわかっていながらも、
自分の母親としてのあり方や、その現実に不甲斐なささえおぼえ、
毎日逃げ出したくなる日々でした。
ホルモンからの産後の不調等によるものなのか
我が子を可愛いと思えない自分に対して、情けなく、悲しく
どうしたらいいのか、もう、わからないことも多くありました。
授乳期も終え、本格的に薬を取り始め、少しずつ、改善の兆しが見え、若干ほっともしています。
そんな中、余命宣告されていた叔父が亡くなったと、姉から連絡があり、
またなんとも悲しい気持ちにもなったりして。
父が亡くなってから約14年
父の兄である叔父は、結婚もしていなかった私たち兄弟を
おそらく 父親代わりのような気持ちで 気にかけてくれていました。
といっても、とてもユニークというか、ユーモアがあるというか、
若干 一筋縄ではいかないような気質の持ち主ではあったので
心配しているよ と まっすぐ ストレートに表現するようなタイプではなかったけれど。
だんなになるパパさんのことは おじさんとおばさんのところに連れて行ったけれど
息子、娘を連れて帰ることができなかった。
前回帰ったときも、私は妊娠8ヶ月くらいで、家から出ることもほぼ出来ず、本当に体調が悪く
あいにいくことが出来ませんでした。
今回も結局帰る事も出来なかったし そのなかでユタに向かう前日に、姉からメールをもらい、
なんとも言葉では表現できない気持ちでいっぱいになりました。
後悔にも似た、悲しみ。
四ヶ月前に姉と母が会いに行ったときは、機上に振舞っていたようだけれど、
奥さんであるおばさんには、やはり辛く当たっていたようで。
あと3ヶ月ですといわれたということで、母と姉は行ってきたのだけれど、
私も行きたかったなぁと 思うとともに どこかで その数字に対して
あまり実感のなかった私だったので、
また
息子の幼稚園のことで体も心も精一杯であって
手紙を書いたりだとか ってことを 考えてはいたけれど
実際行動に移さなかったりとか。
改めて 命 について 考えさせられました。
消えていく命
生まれ来る命
その不思議を改めて またこの ホリデーシーズンに実感をしました。
自分のような人間を 生み出していいのだろうか
生まれ来る子供は、自分と同じような苦しみを、生きる上で味わってしまうのではないか
自分のような人間が 親になって 子供を幸せにしていくことが出来るのか
かわいそうな 思いをさせてしまうのではないか
結婚をするにあたって、もちろん子供を作る、家庭を作るということが念頭にはあったけれど
現実に そこに直面したとき、私は 思い悩みました。
多くの人には理解されない部分であると思うけれど
自分の人生の中で積み上げてきたものが、あまりにも ダークなもので満ち溢れていたような
そんな不安感があったので、とても悩んだんです。
そこを超えて、姪と対面し、パパさんとまた一緒に時間を過ごしていく中で
少し希望を持つことが出来、第一子を生み出す決心をしました。
自分の求めていたもの
それは 異国で家族が欲しいんだと気がついたのも、また自分を後押ししてくれた
ひとつの理由にもなりました。
楽しいことも、嬉しいこともたくさんあったけれど、
やっぱり自分の人間としての未熟さを痛感させられる 子育て。
すべては 自分を再び育んでいく事なのだと 改めて気がつかされたとき
少しずつ 状況も変化をしてきました。
私たち夫婦は 裕福でもないし ものを買ってあげたり、色んなところに連れて行ってあげたり
いわゆる 普通の人たちがするようなことが結構出来なかったりします。
もちろん 健康の面でも同じで、やっぱり やってあげたいと思うほどの体力 健康がなかったりするので、
私は少なくとも 常に胸を痛めることがとても多かった。
しかし、
自分のドクターにも言われたように やはり 自分が自分を大事にして癒していかなければ
子供にも 与えていくことが出来ないのだから、自分の時間をとるようにしなさい、とも言われ
そのバランスも本当に難しかったりとか まだ 課題でもあります。
でも、
自分が子供のころを考えると、何が幸せだったか、望んでいたかということを思い出すと
それはただ
お父さんとお母さんと 心の通う時間を過ごすこと だけだったなと。
どこにいく とか なにを買ってもらう とか
そういうことじゃなくて
家族がみんなニコニコ一緒にいて 楽しむことが出来たら
それで 幸せだったし、 それが欲しかったし それを 求めていたなっていうことを
思い出しました。
子供を見ても、パパとママと一緒にいて、何がなくても 一緒にたわむれて
キャッキャキャッキャと遊んでいるとき
子供たちは 本当に嬉しそうで楽しそうだったりすると
自分の子供のころ欲しかったものを改めて思い出し、
そうだ それでよかったのだ
なにも責める事はないんだ と 思えるようになってきました。
以前は 自分みたいな母親ではなくて、もっといろんなことをしてくれて、
連れて行ってくれて、優しいお母さんのほうが、子供たちは幸せになれるはずだと
信じて疑わなかった。
だけど、
子供たちと時間を過ごすだけで、彼らは喜んでいることを理解できるようになり、
この子達の母親は、私しかいないんだ と 深く実感しました。
そして、
最近息子が3歳になって、幼稚園に行くようになってから 大きな成長を遂げ
以前はただただ 赤ん坊のように振舞っていたのに
状況を理解したり出来るようになったせいか
私の助けになるようなことをしてくれたり
いたわってくれたり するようになってきました。
周りの人から
子供は助けてくれるようになるんだよ
といわれて そんな日が本当に来るんだろうかと 本当に気が遠くなる日々でありましたが
その息子の姿を見て、
とても心強く思い、また 自分の母親としての価値を改めて感じれるようになってきました。
自分のような人間が 子供を生んでよかったのか
ここ3年近く自分にまとわりついていたこの問い
やっとそれを、自分の中で肯定できるような答えに出会うことが出来ました。
自分が育てるのではなく
親も子供に親にしてもらうんだなぁと思うし
子供とともに、死ぬまで一生 ともに成長していけばいいんだなぁと得るようになって
少し 楽になってきました。
また ダークな世界に引き込まれてしまうこともあるかもしれない。
でも 子供とともに、パパさんとともに、また
多くの信頼する友や先輩方に助けていただきながら
前に進んでいこう
そう思え始めています。
2014年 また きっと 色々なことがあるのだろうなぁ
楽しく 大飛躍できる年にしていけますように。
いつも読んでくださっているかたがたにも また
来年 いい年が訪れますように!
一年ありがとうございました。
あっという間に年の瀬
今年は日本に行きたかったのだけれど、結局マイルも足りず
パパさんの実家、ユタ州に来ています。
恒例の尋常じゃない量のクリスマスギフト。
ありがたいとともに、お父さんとお母さんに若干心を痛めたりして。
お正月もここで過ごす予定だし、実際おせちで食べられるものもあまりないので
今回は作らないかなぁ~
お雑煮くらい、戻ってから作るかも?
本当今年はいろいろあったなぁなんて
今一人 物思いにふけってみたりしています。
自分の体の改善のために、本格的に食べ物を制限して、もうどうにもこうにもいかず
何を食べたらいいのだ みたいな世界にいたり、
自分の体や心のコントロールもままならなかったり
本当に子供にはかわいそうな想いをさせてしまったなあと思うこともあったし、
親としての自分の不甲斐なさに、悲しみやら、怒りやら、憎悪まで出てきて自分を責めたり、
子供の幼稚園への挑戦もたくさんありました。
二人の子供を育てることの大変さ、その重みを深く感じたりもしました。
子供を授かりたいのにもかかわらず、叶わない現実に向き合ったり、悲しい想いをしてる友を見るたび、私は自分を責めたりもしました。
今でもそのことをかんがえると、苦しくて涙が止まらなくなり、
胸が張り裂けそうな想いで、何故なんだと、怒りにも似た、何とも表現のし難い感情が湧き上がってきます。
子供を授かることは、当然なことではない。
頭ではわかっていながらも、
自分の母親としてのあり方や、その現実に不甲斐なささえおぼえ、
毎日逃げ出したくなる日々でした。
ホルモンからの産後の不調等によるものなのか
我が子を可愛いと思えない自分に対して、情けなく、悲しく
どうしたらいいのか、もう、わからないことも多くありました。
授乳期も終え、本格的に薬を取り始め、少しずつ、改善の兆しが見え、若干ほっともしています。
そんな中、余命宣告されていた叔父が亡くなったと、姉から連絡があり、
またなんとも悲しい気持ちにもなったりして。
父が亡くなってから約14年
父の兄である叔父は、結婚もしていなかった私たち兄弟を
おそらく 父親代わりのような気持ちで 気にかけてくれていました。
といっても、とてもユニークというか、ユーモアがあるというか、
若干 一筋縄ではいかないような気質の持ち主ではあったので
心配しているよ と まっすぐ ストレートに表現するようなタイプではなかったけれど。
だんなになるパパさんのことは おじさんとおばさんのところに連れて行ったけれど
息子、娘を連れて帰ることができなかった。
前回帰ったときも、私は妊娠8ヶ月くらいで、家から出ることもほぼ出来ず、本当に体調が悪く
あいにいくことが出来ませんでした。
今回も結局帰る事も出来なかったし そのなかでユタに向かう前日に、姉からメールをもらい、
なんとも言葉では表現できない気持ちでいっぱいになりました。
後悔にも似た、悲しみ。
四ヶ月前に姉と母が会いに行ったときは、機上に振舞っていたようだけれど、
奥さんであるおばさんには、やはり辛く当たっていたようで。
あと3ヶ月ですといわれたということで、母と姉は行ってきたのだけれど、
私も行きたかったなぁと 思うとともに どこかで その数字に対して
あまり実感のなかった私だったので、
また
息子の幼稚園のことで体も心も精一杯であって
手紙を書いたりだとか ってことを 考えてはいたけれど
実際行動に移さなかったりとか。
改めて 命 について 考えさせられました。
消えていく命
生まれ来る命
その不思議を改めて またこの ホリデーシーズンに実感をしました。
自分のような人間を 生み出していいのだろうか
生まれ来る子供は、自分と同じような苦しみを、生きる上で味わってしまうのではないか
自分のような人間が 親になって 子供を幸せにしていくことが出来るのか
かわいそうな 思いをさせてしまうのではないか
結婚をするにあたって、もちろん子供を作る、家庭を作るということが念頭にはあったけれど
現実に そこに直面したとき、私は 思い悩みました。
多くの人には理解されない部分であると思うけれど
自分の人生の中で積み上げてきたものが、あまりにも ダークなもので満ち溢れていたような
そんな不安感があったので、とても悩んだんです。
そこを超えて、姪と対面し、パパさんとまた一緒に時間を過ごしていく中で
少し希望を持つことが出来、第一子を生み出す決心をしました。
自分の求めていたもの
それは 異国で家族が欲しいんだと気がついたのも、また自分を後押ししてくれた
ひとつの理由にもなりました。
楽しいことも、嬉しいこともたくさんあったけれど、
やっぱり自分の人間としての未熟さを痛感させられる 子育て。
すべては 自分を再び育んでいく事なのだと 改めて気がつかされたとき
少しずつ 状況も変化をしてきました。
私たち夫婦は 裕福でもないし ものを買ってあげたり、色んなところに連れて行ってあげたり
いわゆる 普通の人たちがするようなことが結構出来なかったりします。
もちろん 健康の面でも同じで、やっぱり やってあげたいと思うほどの体力 健康がなかったりするので、
私は少なくとも 常に胸を痛めることがとても多かった。
しかし、
自分のドクターにも言われたように やはり 自分が自分を大事にして癒していかなければ
子供にも 与えていくことが出来ないのだから、自分の時間をとるようにしなさい、とも言われ
そのバランスも本当に難しかったりとか まだ 課題でもあります。
でも、
自分が子供のころを考えると、何が幸せだったか、望んでいたかということを思い出すと
それはただ
お父さんとお母さんと 心の通う時間を過ごすこと だけだったなと。
どこにいく とか なにを買ってもらう とか
そういうことじゃなくて
家族がみんなニコニコ一緒にいて 楽しむことが出来たら
それで 幸せだったし、 それが欲しかったし それを 求めていたなっていうことを
思い出しました。
子供を見ても、パパとママと一緒にいて、何がなくても 一緒にたわむれて
キャッキャキャッキャと遊んでいるとき
子供たちは 本当に嬉しそうで楽しそうだったりすると
自分の子供のころ欲しかったものを改めて思い出し、
そうだ それでよかったのだ
なにも責める事はないんだ と 思えるようになってきました。
以前は 自分みたいな母親ではなくて、もっといろんなことをしてくれて、
連れて行ってくれて、優しいお母さんのほうが、子供たちは幸せになれるはずだと
信じて疑わなかった。
だけど、
子供たちと時間を過ごすだけで、彼らは喜んでいることを理解できるようになり、
この子達の母親は、私しかいないんだ と 深く実感しました。
そして、
最近息子が3歳になって、幼稚園に行くようになってから 大きな成長を遂げ
以前はただただ 赤ん坊のように振舞っていたのに
状況を理解したり出来るようになったせいか
私の助けになるようなことをしてくれたり
いたわってくれたり するようになってきました。
周りの人から
子供は助けてくれるようになるんだよ
といわれて そんな日が本当に来るんだろうかと 本当に気が遠くなる日々でありましたが
その息子の姿を見て、
とても心強く思い、また 自分の母親としての価値を改めて感じれるようになってきました。
自分のような人間が 子供を生んでよかったのか
ここ3年近く自分にまとわりついていたこの問い
やっとそれを、自分の中で肯定できるような答えに出会うことが出来ました。
自分が育てるのではなく
親も子供に親にしてもらうんだなぁと思うし
子供とともに、死ぬまで一生 ともに成長していけばいいんだなぁと得るようになって
少し 楽になってきました。
また ダークな世界に引き込まれてしまうこともあるかもしれない。
でも 子供とともに、パパさんとともに、また
多くの信頼する友や先輩方に助けていただきながら
前に進んでいこう
そう思え始めています。
2014年 また きっと 色々なことがあるのだろうなぁ
楽しく 大飛躍できる年にしていけますように。
いつも読んでくださっているかたがたにも また
来年 いい年が訪れますように!
一年ありがとうございました。