抱っこしてあげれば、済むことがある。

だけれど
自分の調子がよくなかったり、いらいらしていたり、していると
そのサインさえも 見逃してしまう。



自分は本当に母親になってよかったのか。



うまくいかない体や食事
それによって 気持ちの変動も激しく
おそらくPMSだろうが
子供達から距離を離さないと
どうにもならない自分がいるときがある


おそらく 人生の半分くらいかもしれない
月の半分は その 変動にくるしまされるようになってきた





子供を怒鳴りつける
その後 尋常ではない自己嫌悪

ごめんねって 謝るけれど
止め処もない嫌悪感や自責の念に 襲われる





子供を抱っこしたら 
ただ疲れて眠かったことを気がついてあげてなかったと気がつかされた

落ち着いて ほっとした様子が手に取れた





怒鳴ったり しかったり
ヒステリックに自分の感情がコントロール行かないときには特に


私は 母親になる資格なんてないはずだ
母親に向いていない
母親になったのは間違いだ

世の中には 子供が欲しくてもできない人がたくさんいる
そういうひとと ほんとうに 代わるべきなんだお前は
当たり前だと想いすぎなんだろう いい加減にしろと 自分のことを本気でそう想う




優しいお母さんでいてあげたいし
ちゃんと 話と心の通うお母さんでいたかった



子供がすとんと 落ち着くべき場所に落ち着いたような
そんな様子を見て、

そうだよな そうだったよな
ただ 何もいわずに出しきしめてくれたら よかったんだよな

と 気づき、
自分の事を思い出す



何かのたびに 罵声や怒鳴り声にかこまれて生きてきた幼少の頃

自分の子が泣くように 
自分が泣いて泣いて泣いても
誰にも 抱きしめてもらえた記憶が全くなかった

ほれみたことか と いわんばかりに ただ 追い討ちをかけるように
しかられるだけだった気がする。



子供の頃は ただ 暖かく 励ましてくれたら
抱きしめてくれさえすれば それで 落ち着いてまた頑張れたものを
それがなかったので

大人になったら それができる自分になるんだ、母親になるんだと決意した記憶がある



だけど
今の自分は その逆になっているんだよなあと
同じように 厳しく 追い討ちをかけるようにしかってしまったり、怒鳴ってしまう



だめだよこれじゃ 変わってないじゃん


うちの両親も 同じように きっと 親にされた節もあるだろう
やっぱり されたことしか できないのが人間なんだよな


だから 今は全く親を責めてはいない
きっと 親なりに 悩んでいただろうし
これでいいとは 思っていなかったんだろうなっていうのは 薄っすらとした記憶にある




忍耐力 という枠を超えた
その なにか。
包容力 かもしれないな。




子供の頃は 沢山いろいろなことを想っていたし
絶対こう ならないんだ と 決めていたけれど

大人になってどんどん それが 薄くなり 消えてしまっていた。



大人になってしまうと
なぜこう忘れて 子供の心が見えなくなってしまうんだろう



難しい
暖かく かつ 厳しく という その 按配が。






以前友人と話をしていて
有名人なんかが 子供を産んで もう とってもハッピー これ以上の幸せありませーん
幸せすぎマース みたいな 感じだけど
本当に そうなのかなぁ
悩んだりはしないんだろうかね


という話をしていました。





子供が生まれて 嬉しくて仕方なく この上なく幸せ

正直、そう言う人がとても羨ましい

もちろん 自分にも多かれ少なかれ 子供をいつくしむ気持ちはあるのだが。
度外が、頻度がかけ離れている気がする。


そしてその友人が
君にとって きっと 母親をやることが 人生の修行なんだろうね と。



子供を持てないことで それが 修行になる人もいるけれど
子供を持ち母親をやることで、それ自体が修行になる人もいて。


私も きっと こんな自分だからこそ
母親になる道が開かれたんだろうと
容易な道ではないからこそ
今ここにいるんだろうと

成長しなさいよと
なんか そんな風に言われているのかなぁって
そんな気になっていたりしますが。




しかし
自分のもとに 生まれてきた自分の子供達
かわいそうだなぁあって 想うこと 多々あります。


もっと いいお母さんが いるだろうし
自分じゃないお母さんのもとにいたら
この子達はもっとのびのびと 楽しい日々を送ることができるのではないかと。

愚かな考えですがね。
わかってはいるのですがね。

でも
そう想ってしまうのです。



こんな母親でも 母親だと想ってくれている子供達に大変申し訳ないけれど
旦那にいうんです


離婚して もっといい奥さんもらったほうがいいんじゃないって。
子供のことも家族のことも含めて。



馬鹿なことを言っているのは承知ですが
いい母、いい妻、いい嫁でない自分を やっぱり 認められないんですな。

いつ 子供が 母親がいかに 偏った人間なのか
それに気がついて 愛想を着かされる日がいつ来るのか
そして
いつ こいつはだめだ と 見捨てられる日が来るんだろうか

よく そんな事を 考えたりします。




何のとりえもない自分なので
想うように いろんなことを こなし、やってあげられない自分がいるので
やっぱり 自分を ほめて認めてあげることができません。

でもそこも 変えていかないと
何も変わっていかないんでしょうね。

子供に対しても、周りに対しても全て。


子供を作る前、悩みに悩んだこと
それが
自分という人間が 母親になっていいものか
同じような人間を生み出していいものか

子供をくるしませてしまう親になってしまうのではないか
幸せにしてあげられるのか。


今になって再びそれが立ち戻って帰ってきてしまいました


そして
まだ やっぱり その 答えが すぱんと 出てきていません。
すとんと落ちるところまで 向き合っていかないといけないんだろうな。


人生は苦悩の連続です。