頭ではわかっているのです
とっても大したことではないっていうことが。
そして
後になれば 大したことじゃなったし
笑い話になることもわかっています。
だけど
昨日は泣きました。
今日も 車の中で 運転しながら泣きました。
たかが
自分で手を洗えない事実、コップで飲むことのできないことを指摘され
プリスクールの先生に 生活習慣の基本からやりましょうよっていわれたこと
あまりに その通り過ぎて
とても落ち込んだ
その場では 旦那のせいにも多少したけど
(手を洗わせないで、拭かないで、物を手で食べさせることをいとわない人だから
それが やっと 手を拭くことをできるようになったってところなんだけど)
プリスクールでも 外遊びをして 明らかに手が汚い
だから先生が 手を洗いましょう そう言うんだけど 手を洗おうとしないらしい
洗おうという姿勢がないらしく ただ つったっているらしい
あらわせようとしても 石鹸を あわあわの石鹸を出すことを知らない
出されたとしても てを こすることを知らない
先生がやってあげたといっていた。
内でも同じ。
基本的に 手を洗うっていう習慣が少ないかも
手を拭いちゃってたから
だから 洗うようにしました。
でも 嫌がります
私は 本当に母親として情けないし
ただ自分を責めてしまったりもします。
お水も
基本的にストローボトルで飲んでいたし
コップで飲むのは本当に時々
でもプリスクールでは コップで麦茶やら飲むんだけど
この間もこぼしちゃったみたいです。
昨日はいちごシェークを作ったので コップで飲ませようとしたら
Noの一点張り
そうですよね。。。
わたしはもう ただ ボディーブローを食らっている状態でしかなくて
途方にくれて 絶望していた。
大したことじゃないでしょう
だけど
自分の努力でどうというより、
本人の意思があって、それを促していくっていうのは
教えるという作業がもっとも苦手で嫌いな私にとっては
ただの拷問でしかなく。
こっちが話をしてわかっていることも多いけれど、
わかっていないのか それとも わかっていても 反抗しているのか
それもよくわからない。
昨日は 家に帰ってきて旦那にそれをぶちまけ、私はひとりベッドルームで泣いた
なぜなら
うちの息子は 融通も利かない、 とても意固地な人間なので
こうでしょ ああでしょ こうしようよ といっても
すんなり 行かないタイプ
だからこそ
もうその時点で 行き詰まりを感じていた
そして すべて そう言う基本ができていないのは
どうやっても この 母親である私の責任 私がいけないんだ
恥ずかしいのは 自分なんだと また 自分を責めていた。
パパが帰ってきて しばらくゲームをして彼はそれを楽しそうに見た後
寝てしまった。
おきてから お水が欲しいというので
さっきはだめだった コップの中の水をパパが渡したら
すんなりと 飲んでいる
飲んでいる!!!!
なんだと!?
わたしは とてもうれしかった そして ほっともした。
できるんじゃん
だけど 今朝、食事のときに コップのお水を渡したが
NOの一点張り再び。。。 飲みません
昨晩も 自分では 食べようとしなかった
それは わたしが いつも 食べさせていたからというのもあるだろうけれど
スプーンでご飯を始めてちゃんとたべていた
そりゃあ多少はこぼしてる
だけど とても上手にたべてた。
なんだ できるのか
だけど この
出来ると信じることと やってあげることの ラインが私にはやっぱりわからない
子どもは親を試す
どこまでやってくれるものかって
とかく わたしは 一時期息子との距離がとても遠くなり
関係が ひどかった時期があったので
それを修復すべく 彼を大事に大事にしてきた
とくに
彼の下に妹ができたことで、彼は赤ちゃんかえりてきな 反抗というか
注意を引く行為というか
愛情を感じれないと思わせるのが嫌だったから
必要であれば なんでもやってあげるようにしていた
でも それでも 要所要所は 自分で出来るようにうながして
言葉がおそぃぶん それを言わせるようにも かなり 厳しくしてきたんだけれど
そうか もっと 手放して できるよ やってごらん って しないとなのか
でもまぁ それがむずかしくて
そうすると まったく 食べなくなる とか
のまなくなる とか
そう言うことも起き、
目下 彼の便秘が私の悩みでもあるので
野菜を食べさせることや 水分を取らせることは 私の手を使ってでもしたいことではあるのだけど
手伝いすぎてもいけないわけで。
毎回顔を真っ赤にしながら いきみ それでも でなくて すっきりしないのをみると
もう 頼むから 野菜を食べてくれよ と 思うのだけれど。
それにくわえ 私自身の食べ物のこともあり
それにあわせ 頭痛や不調が重なり
自分が食べるので精一杯だったり
ここ数日旦那も実は体調がよくなく、風邪と闘っているような、だるさとうとうあり
海底を張っているような気分でいる。
先生に言われたことも
今日明日変わらないと死刑 みたいなことではないのもわかっているが
ただただ
思い通りにいかない もう一個人に頭を悩ませるひびで
それに合わせて 私の体の不調で いらいらし、
子供にも 優しく対応できず
そんな自分にまた 情けなくもなり
息子も 新しい生活の変化によって、私が感じているように
それなりのストレスもあり、頑張っているはずだ
そうか 一緒なんだ
と 思って 気持ちをまた 持ち直したりとか。
旦那に話したときは 旦那は笑ってた
私もそのくらいの 気持ちで 楽観視していけたらいいんだよな。
時間はかかるかもしれないけど
みんなで 何かをするというときにも
ひとりだけ 車で遊んでいて 全く見向きもしなかったり
それは言葉がわからないからなのか それとも 自分がしたいからしているというスタンスなのか
本人以外は判らないけれど。
母親になることが こんなに 反抗と否定の嵐に見舞われる仕事だとは思っていなかった。
導くエネルギーと受け入れる包容力、両方を兼ね備えることで
人間が育つんだろう
下の娘も15ヶ月
一個人としての主張も増え、カーシートに乗ってくれないという
私達が行くところいくところには一緒にいって同じ事をしたいような意思もでてくる
そして すぐに2歳児特有の いやいや の時期も 到来する
(彼女の場合 離乳食を始める時点で、すでに 嫌なものといいものの違いがはっきりしていたけど)
また 母親のキャパシティーを ぐいぐいぐいっと こじ広げられる時が来たようです。
仕事のことや自分の夢のことなんて 入ってくる余地ありません。
そして それは 育児は 一生のことであると 実感しているので
このままずっといっちゃうんだろうな なんて思いながら
とにかく今は 子供の成長と 家族の健康のことを やっていくしかないのよね
コップで飲む
手を自分で洗う
基本だよ 基本。
うちの子供たちは なんでこんなに 人が出来ることができない?
比べても 意味がないんだけど
まぁ 私も 器用なほうじゃないし
どんくさいから しょうがないんだよな
自分のそう言うところが まさに 子供達に 反映されていると
自己嫌悪に陥ったり 苛立ちも募ったりもする
鏡か。
突き付けられている感じがします、自分の弱さを。
受け入れる ってことは 本当に 難しいこと
そしてそれを さらに 前に前にと 促すことも 厳しいことであります。
教育とは 本当に骨の折れる仕事であります。
自分の子供なので 捨てるわけにも行かず
もう 向き合うしかないのだけれどね。
でももうちょっと
自分に戻れる時間も 場所も もっておかないと
おそらく病気になってしまうから
ちゃんとじぶんのことも 考えてあげなければ。
母とは 思っていた以上に 大変な仕事でした。
とっても大したことではないっていうことが。
そして
後になれば 大したことじゃなったし
笑い話になることもわかっています。
だけど
昨日は泣きました。
今日も 車の中で 運転しながら泣きました。
たかが
自分で手を洗えない事実、コップで飲むことのできないことを指摘され
プリスクールの先生に 生活習慣の基本からやりましょうよっていわれたこと
あまりに その通り過ぎて
とても落ち込んだ
その場では 旦那のせいにも多少したけど
(手を洗わせないで、拭かないで、物を手で食べさせることをいとわない人だから
それが やっと 手を拭くことをできるようになったってところなんだけど)
プリスクールでも 外遊びをして 明らかに手が汚い
だから先生が 手を洗いましょう そう言うんだけど 手を洗おうとしないらしい
洗おうという姿勢がないらしく ただ つったっているらしい
あらわせようとしても 石鹸を あわあわの石鹸を出すことを知らない
出されたとしても てを こすることを知らない
先生がやってあげたといっていた。
内でも同じ。
基本的に 手を洗うっていう習慣が少ないかも
手を拭いちゃってたから
だから 洗うようにしました。
でも 嫌がります
私は 本当に母親として情けないし
ただ自分を責めてしまったりもします。
お水も
基本的にストローボトルで飲んでいたし
コップで飲むのは本当に時々
でもプリスクールでは コップで麦茶やら飲むんだけど
この間もこぼしちゃったみたいです。
昨日はいちごシェークを作ったので コップで飲ませようとしたら
Noの一点張り
そうですよね。。。
わたしはもう ただ ボディーブローを食らっている状態でしかなくて
途方にくれて 絶望していた。
大したことじゃないでしょう
だけど
自分の努力でどうというより、
本人の意思があって、それを促していくっていうのは
教えるという作業がもっとも苦手で嫌いな私にとっては
ただの拷問でしかなく。
こっちが話をしてわかっていることも多いけれど、
わかっていないのか それとも わかっていても 反抗しているのか
それもよくわからない。
昨日は 家に帰ってきて旦那にそれをぶちまけ、私はひとりベッドルームで泣いた
なぜなら
うちの息子は 融通も利かない、 とても意固地な人間なので
こうでしょ ああでしょ こうしようよ といっても
すんなり 行かないタイプ
だからこそ
もうその時点で 行き詰まりを感じていた
そして すべて そう言う基本ができていないのは
どうやっても この 母親である私の責任 私がいけないんだ
恥ずかしいのは 自分なんだと また 自分を責めていた。
パパが帰ってきて しばらくゲームをして彼はそれを楽しそうに見た後
寝てしまった。
おきてから お水が欲しいというので
さっきはだめだった コップの中の水をパパが渡したら
すんなりと 飲んでいる
飲んでいる!!!!
なんだと!?
わたしは とてもうれしかった そして ほっともした。
できるんじゃん
だけど 今朝、食事のときに コップのお水を渡したが
NOの一点張り再び。。。 飲みません
昨晩も 自分では 食べようとしなかった
それは わたしが いつも 食べさせていたからというのもあるだろうけれど
スプーンでご飯を始めてちゃんとたべていた
そりゃあ多少はこぼしてる
だけど とても上手にたべてた。
なんだ できるのか
だけど この
出来ると信じることと やってあげることの ラインが私にはやっぱりわからない
子どもは親を試す
どこまでやってくれるものかって
とかく わたしは 一時期息子との距離がとても遠くなり
関係が ひどかった時期があったので
それを修復すべく 彼を大事に大事にしてきた
とくに
彼の下に妹ができたことで、彼は赤ちゃんかえりてきな 反抗というか
注意を引く行為というか
愛情を感じれないと思わせるのが嫌だったから
必要であれば なんでもやってあげるようにしていた
でも それでも 要所要所は 自分で出来るようにうながして
言葉がおそぃぶん それを言わせるようにも かなり 厳しくしてきたんだけれど
そうか もっと 手放して できるよ やってごらん って しないとなのか
でもまぁ それがむずかしくて
そうすると まったく 食べなくなる とか
のまなくなる とか
そう言うことも起き、
目下 彼の便秘が私の悩みでもあるので
野菜を食べさせることや 水分を取らせることは 私の手を使ってでもしたいことではあるのだけど
手伝いすぎてもいけないわけで。
毎回顔を真っ赤にしながら いきみ それでも でなくて すっきりしないのをみると
もう 頼むから 野菜を食べてくれよ と 思うのだけれど。
それにくわえ 私自身の食べ物のこともあり
それにあわせ 頭痛や不調が重なり
自分が食べるので精一杯だったり
ここ数日旦那も実は体調がよくなく、風邪と闘っているような、だるさとうとうあり
海底を張っているような気分でいる。
先生に言われたことも
今日明日変わらないと死刑 みたいなことではないのもわかっているが
ただただ
思い通りにいかない もう一個人に頭を悩ませるひびで
それに合わせて 私の体の不調で いらいらし、
子供にも 優しく対応できず
そんな自分にまた 情けなくもなり
息子も 新しい生活の変化によって、私が感じているように
それなりのストレスもあり、頑張っているはずだ
そうか 一緒なんだ
と 思って 気持ちをまた 持ち直したりとか。
旦那に話したときは 旦那は笑ってた
私もそのくらいの 気持ちで 楽観視していけたらいいんだよな。
時間はかかるかもしれないけど
みんなで 何かをするというときにも
ひとりだけ 車で遊んでいて 全く見向きもしなかったり
それは言葉がわからないからなのか それとも 自分がしたいからしているというスタンスなのか
本人以外は判らないけれど。
母親になることが こんなに 反抗と否定の嵐に見舞われる仕事だとは思っていなかった。
導くエネルギーと受け入れる包容力、両方を兼ね備えることで
人間が育つんだろう
下の娘も15ヶ月
一個人としての主張も増え、カーシートに乗ってくれないという
私達が行くところいくところには一緒にいって同じ事をしたいような意思もでてくる
そして すぐに2歳児特有の いやいや の時期も 到来する
(彼女の場合 離乳食を始める時点で、すでに 嫌なものといいものの違いがはっきりしていたけど)
また 母親のキャパシティーを ぐいぐいぐいっと こじ広げられる時が来たようです。
仕事のことや自分の夢のことなんて 入ってくる余地ありません。
そして それは 育児は 一生のことであると 実感しているので
このままずっといっちゃうんだろうな なんて思いながら
とにかく今は 子供の成長と 家族の健康のことを やっていくしかないのよね
コップで飲む
手を自分で洗う
基本だよ 基本。
うちの子供たちは なんでこんなに 人が出来ることができない?
比べても 意味がないんだけど
まぁ 私も 器用なほうじゃないし
どんくさいから しょうがないんだよな
自分のそう言うところが まさに 子供達に 反映されていると
自己嫌悪に陥ったり 苛立ちも募ったりもする
鏡か。
突き付けられている感じがします、自分の弱さを。
受け入れる ってことは 本当に 難しいこと
そしてそれを さらに 前に前にと 促すことも 厳しいことであります。
教育とは 本当に骨の折れる仕事であります。
自分の子供なので 捨てるわけにも行かず
もう 向き合うしかないのだけれどね。
でももうちょっと
自分に戻れる時間も 場所も もっておかないと
おそらく病気になってしまうから
ちゃんとじぶんのことも 考えてあげなければ。
母とは 思っていた以上に 大変な仕事でした。