先日 というても ちょっと前だけど
父の命日でした。

かれこれ、14年前か
はやいなぁ

父のことを考えて泣かなくなったのも
ここ数年のこと、
十年くらいは 父のことを時々思って 涙が出てしまっていました。




父は亡くなっているのだけど
いろいろなことに直面するたびに、 父に出会う

そう
自分自身の中のさまざまな言動が まさに 自分の親父
子供のころは理解ができなかった 親父


その親父の言動を まさに この私が同じようにしていることがあります。



よく なくなったひとが 自分の中で 生き続けていくよ みたいな
ことをいいますけど

私は まさに 父が 私自身 いや
私自身が 父である瞬間を
とくに 親になってから 直面することが増えました。



生前父は、
自分の会社を持っていたということもありましたが、
とにかく 仕事第一 家族を省みることもなく
家族サービスもなく

盆正月と、関係なく 自分の仕事場に行っては 時間を過ごす人でした。


わたしが小さいときは ほんと 記憶もかすかなくらいでしかないほど
家族旅行に 縁遠い かんじでした。



しかし
なくなる一年前ほど、弟が、家族旅行をしようと強く望み
私の記憶のなかで いや 感覚の中では

最初で最後の家族旅行にいったのです。
愛犬もふくめて。


父はとにかく常にいらいら切れるタイプで
そんなかんじなので、家族は楽しめるはずもないのです

とばっちりは つねに 母へ。


その時の旅行も 父は相変わらずいらいらし、
がみがみ 切れていました。


きっと楽しくないんだろうよ ってだれもが思ってました。

しかし、
なくなった後 父の会社関係の人に話を聞くと、
その旅行が楽しかった 楽しかった、
こんなに楽しいのならば もっと早くに行っておけばよかったと

もらしていたそうです



うちの家族はみなそれを聞いて驚きました。





私も 現在自分の家族を持っているわけですが、
どうもこうも 家族で出かけると なぜかカリカリしてしまうことが多い
仕事を持っていないけど、自分のすべき家事や家のことを優先し
それいがいは べつに どうでもいい というような ことが ある。

父にそっくりです。


もちろん 切れる私、 たえる パパ栗、
という縮図は どこにいっても たいてい変わらない。苦笑




でも
なくなる前に 父が カリカリしていたのにもかかわらず
しかも そのときには 体調を崩していて 楽しいはずもない旅行だったのに

本当に楽しかったという その変化


仕事人間だった父
何よりも仕事が大事だった父
家族旅行なんて文字は頭になかった父

その父が 家族旅行をして 楽しかったといった


彼の中でどんな変化があったんだろう
彼のその世界観の変化はいったいなんだったんだろう


会って話ができないので わからないのだけど
父が何を見たのか
とても知りたいなと思いました。



そして
私も 家族旅行が楽しいって 本当に本当に純正楽しい気持ちを いつかもつことができるのか
その 変化とは どういうものなんだろうって

できれば 死ぬ前にとかじゃなくて もうちょっと早めに 
自分の家族(姉兄弟母との時間はもうそれだけで今は貴重で楽しいけど、だんなと子供達との)旅行を
楽しい~~って思えたらいいなぁ なんて


うまくいかない 家族旅行の結果を見て最近思うのであります。



親父が生きていたら、彼は何を話してくれるだろうか