ここ最近 時間があると
じゃあ どうする
買い物も(スーパーとかのね)ないし、とくにやることないし
じゃあ ドライブデモするか
というかんじになって 出かけるようになった。
以前なら じゃあ あそこに食べに行こうよ ってことだったけど
食べ物の制限があるために それももう出来ない
あと ドライブは
子供達が ねるねるねる
ちょうど 眠いのに、家にいると うまく寝られない
そういうときは やっぱり ドライブ
そうすると こてっと寝てくれる。
手ごわいのは 上の二歳半。
そして 未だ 子供達が小さいのもあって
自分たちの好きな音楽を聴いたりも出来る。
ここ何回か 車を走らせて 時には当てもなく ぶらっと
時には じゃあ ここにいってみようか といって ただ 見学に
その渦中 夫婦の会話をするようになった。
最近は むすこはパパと、娘はママと寝ているため
以前 パパさんと同じベッドで寝ていたときのように 自分達の話しをすることが全くない
息子中心に パパはうごき
娘中心に 私は 生活をしているから
だから 夫婦の会話は 基本
娘が、息子が どうだった ああだった こうだ ああだ
ということしか 話する時間もないし
上に限っては
私達の会話を 邪魔するべく 奇声を発するようになる。
自分に向いて欲しいっていうののあらわれなんだけどね。
というわけで、
ドライブは 夫婦の会話の時間
自分達に戻れる時間
という感じになってきた。
そして、
ずっとたまりきってたものが 徐々に出て行ってなんだかちょっと 私はすっきりしたような感覚があった。
あーそうか ってことを 話し始めてた。
自分の事を 話す場所も 人も 減ってしまったために
自分が ちょっと たまりにたまりすぎて 無理が生じてたみたい
だから
胃腸も更によくなくなるよね~ てな具合に。
でも自分の話しをしたり
自分の正直な事を話すと やっぱりどうしても
その相手に期待してしまう
もともとの 話の始まりは
うちの旦那さん 人を信用する
だけど
信用して 裏切られても 彼は あーもう ばからしい やめた
という風にはならない
それは なんで?すごいよね 尊敬に値します
というところから。
私は そこで 完全にシャットダウンすることが おおい
でもそれは 恐怖感からくるんじゃないの?
っていわれて
あーそうだね そういうことかも
っておもったりした。
アメリカに戻ってから 環境も若干変わり
なかなか 話が出来る人も周りにはおらず
いても 話を意外と理解してもらえてなかった
私を また違った角度から見ているために 若干 誤解が生じてた
それによって
人と話す事が 億劫になったり
心を開く事も 怖くなったり つらくなったり
ようは やめてしまった
だから
とても 不健康な感じになってたんだよな
まぁ それは 解ってたんだけど
やっぱり 話せるあいてってのは だれでもいいわけではないわけで
やっぱり 安心して話が出来る人じゃないと いえないわけで。
でも今日は なんか 流れに任せて パパさんと話が出来たので
ちょっとすっきりした。かな。
話してた事は きっと 他愛もないことなんだろうけど。
そういえば
信用という言葉について 話していたとき
JF Kennedy の言葉を引いて
全ての人を信用するけど、確認を怠らない
みたいなことを いってきたとき
このひと やっぱり ちょっと賢い (てか わたしが 無知なんだけど)と思った笑
さて寝ます。
じゃあ どうする
買い物も(スーパーとかのね)ないし、とくにやることないし
じゃあ ドライブデモするか
というかんじになって 出かけるようになった。
以前なら じゃあ あそこに食べに行こうよ ってことだったけど
食べ物の制限があるために それももう出来ない
あと ドライブは
子供達が ねるねるねる
ちょうど 眠いのに、家にいると うまく寝られない
そういうときは やっぱり ドライブ
そうすると こてっと寝てくれる。
手ごわいのは 上の二歳半。
そして 未だ 子供達が小さいのもあって
自分たちの好きな音楽を聴いたりも出来る。
ここ何回か 車を走らせて 時には当てもなく ぶらっと
時には じゃあ ここにいってみようか といって ただ 見学に
その渦中 夫婦の会話をするようになった。
最近は むすこはパパと、娘はママと寝ているため
以前 パパさんと同じベッドで寝ていたときのように 自分達の話しをすることが全くない
息子中心に パパはうごき
娘中心に 私は 生活をしているから
だから 夫婦の会話は 基本
娘が、息子が どうだった ああだった こうだ ああだ
ということしか 話する時間もないし
上に限っては
私達の会話を 邪魔するべく 奇声を発するようになる。
自分に向いて欲しいっていうののあらわれなんだけどね。
というわけで、
ドライブは 夫婦の会話の時間
自分達に戻れる時間
という感じになってきた。
そして、
ずっとたまりきってたものが 徐々に出て行ってなんだかちょっと 私はすっきりしたような感覚があった。
あーそうか ってことを 話し始めてた。
自分の事を 話す場所も 人も 減ってしまったために
自分が ちょっと たまりにたまりすぎて 無理が生じてたみたい
だから
胃腸も更によくなくなるよね~ てな具合に。
でも自分の話しをしたり
自分の正直な事を話すと やっぱりどうしても
その相手に期待してしまう
もともとの 話の始まりは
うちの旦那さん 人を信用する
だけど
信用して 裏切られても 彼は あーもう ばからしい やめた
という風にはならない
それは なんで?すごいよね 尊敬に値します
というところから。
私は そこで 完全にシャットダウンすることが おおい
でもそれは 恐怖感からくるんじゃないの?
っていわれて
あーそうだね そういうことかも
っておもったりした。
アメリカに戻ってから 環境も若干変わり
なかなか 話が出来る人も周りにはおらず
いても 話を意外と理解してもらえてなかった
私を また違った角度から見ているために 若干 誤解が生じてた
それによって
人と話す事が 億劫になったり
心を開く事も 怖くなったり つらくなったり
ようは やめてしまった
だから
とても 不健康な感じになってたんだよな
まぁ それは 解ってたんだけど
やっぱり 話せるあいてってのは だれでもいいわけではないわけで
やっぱり 安心して話が出来る人じゃないと いえないわけで。
でも今日は なんか 流れに任せて パパさんと話が出来たので
ちょっとすっきりした。かな。
話してた事は きっと 他愛もないことなんだろうけど。
そういえば
信用という言葉について 話していたとき
JF Kennedy の言葉を引いて
全ての人を信用するけど、確認を怠らない
みたいなことを いってきたとき
このひと やっぱり ちょっと賢い (てか わたしが 無知なんだけど)と思った笑
さて寝ます。