今の自分、自分の世界は、

過去からつくられた結果を

みています。


良くも悪くも

どちらであっても

そこには学びの意図があって

つくられたものです。


問題、難問を突きつけられた時

「ノーサンキュー」

「こんなこと望んでいなかった」

と思いがちですが


いえいえ。


確かに、無意識に望んでいたのです。


そしてそこには

必ず「聖なる目的」があってのこと。


ですから

「超えられない」と思ってしまうのは

錯覚です。


まさにイリュージョンの中に

入ってしまっている状態。



問題、難問の山には


聖なる自己、

創造力、への

気付き、覚醒を

起こすためのもの。



過去からのイメージで

つくられた自分から

本来の自分の姿に

移行するために

自分が意図してつくったものです。



今、体験しているリアルな問題、

一見難問に思えるものは


あなたが「無力」であることを

知らせたいのではなく


今まで二元性でつくられた

記憶、

自分へのイメージを「赦し」


創造主である自分に戻るために

用意したものです。