今回紹介したいのは、

生徒さんを通して知り合った

知人の素敵な投稿文です。

 

ご本人に承諾のうえ、載せさせていただきました💗

 

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ありがとうの反対語など
今まで考えたこともなかった。

 

教えてもらった答えは・・・
「あたりまえ」

 

「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」
「有難(ありがた)し」という意味だ。


あることがむずかしい、まれである。
めったにない事にめぐりあう。
すなわち、奇跡ということだ。


奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」
我々は、毎日起こる出来事を、
当たり前だと思って過ごしている。
歩けるのが、あたりまえ。
目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。
手足が動くのが、あたりまえ。
毎朝目覚めるのが、あたりまえ。
食事ができるのが、あたりまえ。
息ができるのが、あたりまえ。
友達といつも会えるのが、あたりまえ。
太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。
うまれてきたのが、あたりまえ。
夫(妻)が毎日帰ってくるのが、
あたりまえ。

 

そして…
生きているのが、あたりまえ。

 

また、ある夫婦の話もしてくれた。
晩酌の時、いつも無口の夫が、
「ちょっと、お酌してくれないか?」
と珍しく妻に言った。
台所の片付けをしていた妻は、
「今、忙しいから自分でやって」と答えた。
夫は少し寂しそうだったが、
手酌で酒をついだ。
その、2~3時間後、夫は急に倒れ、
救急車で病院に運ばれ、
帰らぬ人となってしまった。

 

それから、妻は、
何故あの時、
夫にお酌をしてあげなかったのかと、
ずっと悔やんだという。
あの時何故、もっと、
優しい言葉で、
こぼれるような笑顔で、
感謝の言葉で、
接することができなかったのか…

 

誰しも、
今日と同じ日が明日も繰り返されると思う。

 

今日、
誰かと出逢い、話し、笑い、
食事をして、仕事ができる。

 

こんな当たり前だと思うことが、
本当は奇跡の連続なのだ。
「有ること難し」
生きて、出逢う、という奇跡の連続に、
「ありがとう」を言わずにいられない。
 

/知人からの美しい言葉


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私も16歳のときに

いてあたりまえだと思っていた友人を

突然亡くしました。

その頃は若いときにありがちな「想いを表現する。」

ということが難しく

伝えたいことをいつも後回しにしていました。

 

友人に伝えるべきことがたくさんありました。

会いたいときに会えると思っていました。

いつでも伝えることができる。

または、伝えられなければ伝えないで良い。

と思ってました。

 

けれど、その日はもう2度と来ません。

伝えられるチャンスも、もう2度とつくることは出来ません。

本当に「ない」という経験をしました。

 

私は確かに異次元の霊体とコンタクトを取ります。

なので、そのとき、さらに

この次元の肉体のときに伝える。

ということの大切さも知ることになり、

さらに自分の起こしてしまっていたこと、

自分がとってきた振る舞いを自覚し、

心の底から後悔しました。

 

16歳のとき

地球のこの次元で関われている奇跡をできるだけ

無駄にしないこと。

まさに一期一会。

「今」関係していることすべてを

あたりまえにすることはやめよう。

と残念ながら悲しい経験を通してやっとしっかりと

刻みました。

 

「ありがとう」と言うたびに

「奇跡ですね」という言葉を発している私たち。

 

今、自分に起きているすべてのことに

奇跡が存在しています。

 

みようとすればその奇跡を知り、

そこに美しさを見いだすことが

私たちには出来るのです。

 

この文を出してくれた知人に「ありがとう💗」